みやざきの味と花101ロゴ おきよせんべい
 
 

●伝統の製法守り108年
 「おきよせんべい」について語るには、どうしても創始者小玉キヨのことに触れなければならない。
 キヨは1867(慶応3)年に日南市飫肥町に生まれた。87(明治20)年、廃藩で職を失った武士たちのために、せんべいづくりの職業講習が開かれ、キヨもそれに参加した。キヨは習った製法に工夫を加え、92(同25)年、飫肥町鳥居の下でせんべい屋を開業した。
 キヨの1日は、朝3時に起きてもち米を蒸すことに始まった。足踏み式のきねとうすで、もちをつき始めるのが6時ごろ。その音が聞こえてくると、近所の人は「おきよさんが起こしている」と目を覚ました。
 キヨの名前と、うすをつく音で起こされることから、だれ言うともなく、「おきよせんべい」と呼ぶようになったという。
 ついたもちは、鉄製の型に入れて、1回9枚ずつ焼いていく。松の形は飫肥城の松のイメージであろう。2枚のせんべいを重ね合わせ、その中に上質の砂糖でつくったアメを塗る。
 このせんべいの厚みと、アメを薄く塗るのが秘けつで、キヨはせんべいの間に一銭銅貨を入れて振りながら、その音の具合で厚みを決めたという。
 昔は、日向木炭の樫小丸(かしこまる)で焼いた。上質の炭は固くて、火持ちがよく、炎が出ないので熱が全体に行きわたり、いいせんべいが焼けた。
 日に700枚のせんべいを、食事の時間に交代するだけで、夕方まで焼き続けた。ほんのりとした甘味と香りに、舌ざわりのよさで、おきよせんべいは、1枚も残ることがなかった。
 キヨは若いころに2度結婚したが、離婚して子どももなく、生涯をせんべいづくり一筋で過ごした。1949(昭和24)年、83歳で亡くなった。ポーツマス条約を締結した明治の外交官小村寿太郎は、キヨのいとこになる。
渡辺 綱纜
メモ
 「おきよせんべい」は、キヨからおいの小玉健一さんと嫁の昌子さんに受け継がれ、今は三代目の和則さんが1日1,300〜1,400枚を1枚、1枚焼き上げている。飫肥の城下町ならではの風雅さと素朴な味で、県外からの注文も多い。20枚入りから各種ある。個数が多いときは、1週間ぐらい前まで予約注文を受け付ける。乳幼児の離乳食にと買いに来る人もあるという。





おきよせんべいの写真
ほんのりとした甘味で
今も伝統の味を守る

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