みやざきの百一人ロゴ 前田正名(まえだまさな)1850(嘉永3)年〜1921(大正10)


●山田町開田の功労者
 鹿児島県出身。1865(慶応元)年〜1866(同2)年長崎に留学、さらに1869(明治2)年からフランスに8年間留学、帰国して内務省に勤めた。1878(同11)年パリ万国博覧会には事務官長として派遣された。
 1881(同14)年に欧州の経済事情調査に出張、帰国後は経済政策の構想に取り組むとともに、地方に出張しては農民に勤勉・節倹・貯蓄を勧め自力更生を説いた。
 その後山梨県知事や貴族院議員となるが、政府の政策に同調できず政界を去り、地方の産業振興運動を指導した。また、地方の実業団体や農業団体を統合して、政府や議会にそれら団体の要求を建議するなどの活動を行った。
 山田町谷頭に「前田君開渠紀功碑(かいきょきこうひ)」と「石川理紀之助翁夜学跡地」の石碑が建っている。
 かつて谷頭一帯は台地で、畑作物に頼るしかなく農民は勤労意欲に欠けていた。
 前田正名は晩年、庄内の元源兵衛の開田事業を引継ぎ、谷頭・野々美谷の開田事業に取り組んだ。関之尾上流を水源とする用水路の開削に1899(同32)年着工、難工事の末13キロの水路が1901(同34)年に完成し、これによって290ヘクタールが開田した。
 しかし、地区民は開田事業に無関心であった。生産意欲向上のために教育啓発を痛感した正名は、秋田県の農事指導者石川理紀之助を招き、地区民の教育を行った。
 「前田君開渠紀功碑」は正名の一大事業の功績を、「石川理紀之助翁夜学跡地」碑は理紀之助への感謝の気持ちを後世に伝えるために建立されたものである。(前田 博仁)
メモ
◎石川理紀之助(いしかわりきのすけ)(1845〜1915)
 農業指導者。秋田郡小泉村(秋田市)の生まれ。1877(明治10)年以降は秋田県庁で勧業行政を担当し、腐米(ふまい)改良の指導や種苗交換会開設に尽力した。また、秋田県内の篤農家を組織して農事改良に努めた。昭和期には刻苦勉励の精神が強調され「農聖」と呼ばれた。
 理紀之助一行8人が谷頭に着いたのは、用水路が完成した翌年1902(同35)年であった。理紀之助らは、日中は地区内を巡回して農業を指導し、夜は宿所兼夜学校で、礼儀作法、算術、読書、作文、竹細工などを指導した。わずか半年間の夜学会ではあったが、理紀之助らの懇切丁寧な指導は地区民の信望を集めた。


前田正名の写真
前田 正名
[祖田修著『前田正名』(吉川弘文館)より]







石碑の写真
前田正名の業績を顕彰した石碑。近くには石川理紀之助の夜学跡地の石碑が建っている。

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