権藤円立(ごんどうえんりゅう)1891(明治24)年〜1968(昭和43)年


●初の本県出身声楽家
 権藤円立は銀杏寺として古くから知られる延岡市船倉町の「光勝寺」に生まれた。父は10代目を継ぐ権藤円海師。
 幼いころから音楽に関心を持っていた彼は、旧制延岡中学校を、1909(明治42)年に卒業すると上京し、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)への進学を目指し、勉学に励んだ。その努力が実り3年後に見事合格、甲種師範科で声楽のバリトンを専攻する。またここで後に作曲家として活躍する。藤井清水と知り合った。1915(大正4)年卒業後、山梨師範学校を振り出しに、田川高等女学校や鹿島高等女学校で音楽の教育に当たった。
 そして迎えた1925(大正14)年、藤井清水の熱心な誘いで再び上京、彼の紹介で詩人の野口雨情と親交を結ぶ。これを機に作詞の野口、作曲の藤井、歌手の権藤というトリオが誕生し、新しい音楽運動の母胎となる「芸術教育協会」の推進役として、全国的な活動を展開する。
 その一環として円立は1929(昭和4)年、地元延岡で「延岡小唄」の発表会を兼ねた「講演と演奏の会」を開催。以後このトリオは何度か宮崎を訪れた。豊かで艶(つや)のある声の持ち主であった彼は、こうした発表の場だけでなく、1925(大正14)年の東京放送局(現NHK)開局記念番組で、歌曲や童謡を電波に乗せ、また30枚に及ぶレコードの吹き込みも行っている。
 宮崎県出身の声楽家第1号として、中央の舞台で幅広く活躍した権藤円立は、その晩年黒岩中学校や北方小学校などの校歌や、先勝寺の和讃を数多く手掛け、ふるさとへの思いを重ねながら、東京で78年にわたる音楽人生の幕を閉じた。(原田 解)
メモ
◎夫人は童謡・童話作家
 夫人の権藤はなよは「ささの葉さらさら のきばにゆれる」の歌詞で知られる文部省唱歌「たなばたさま」の作詞者でもある。
〈権藤円立の主なレコード〉
【キング】
  日本音頭 浜で音頭とりゃ 峠朝霧大漁の兵 土投げ唄 ドンドチャチャ ほか
【コロムビア】
 早慶戦時代 勝利の歌 ほか
【ビクター】
 日向小唄 延岡小唄 うつし世
【ヒコーキ】
 スキーの歌 船乗りの歌 野球の歌 望郷の唄 研辰討たれ ほか
 昭和初期としてはたいへんな数の吹き込みである。傾向的には新民謡が多い。しかもそのB面(裏面)に東海林太郎や淡谷のり子、それに三島一声といった当時人気歌手が名を連ねている。これからも人気のほどがうかがえる。


権藤円立の写真
晩年の権藤円立







光勝寺の写真
権藤円立が生まれた延岡市船倉町の光勝寺

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