後藤寅五郎(ごとうとらごろう)1865(慶応元)年〜1955(昭和30)年


●山村の産業振興図る
 三カ所村(現五ヶ瀬町三カ所)に生まれる。農業を営みながら村の産業振興に努め、1906(明治39)年には仲間と岡山からホルスタインの種牛を購入、種牛組合を設立して牛の改良普及を図った。
 寅五郎は村民の信頼もあつく、村会議員や郡会議員を歴任後、1912(大正元)年から1920(同9)年まで村長を務めた。在任中は植林を奨励し、上赤谷に村有林36ヘクタール(36町)を植林したり、電気の導入を図ったりした。
 三カ所村は傾斜地が多く、耕地は畑地が中心で麦・アワ・トウモロコシなど雑穀が主であった。2、3年ごとに風水の災害があり、収穫が少ないときは草の根で飢えをしのぐこともあったという。
 水田は渓流を利用した小規模なもので、村内の需要を満たすことはできなかった。寅五郎は開田の必要を痛感し用水路の開削を計画して、耕地整理組合を結成。自ら理事長に就任し再三にわたって県に陳情、1925(同14)年ようやく着工にこぎ着けた。予想以上の難工事を経て1927(昭和2)年尾原川、飯干川、戸根川を水源とし川曲に至る延長24キロの水路が開通した。これによって水田100ヘクタール(100町)が開かれた。
 また、1938(同13)年には村史ともいうべき『村のおもかげ』を編さんし、村の歴史を後世に残すなど文化面でも偉業をなし遂げている。
 三カ所村と耕地整理組合は1948(同23)年に胸像を宮野原に建立し、彼の功績をたたえた。(前田 博仁)
メモ
◎電気の導入
 明治末、高千穂町押方に発電所が建設され、同地方はすでに電灯がついていた。
 三カ所村でも電気を導入しようと有志が延岡電気会社と再三にわたり交渉したが、会社側は架線距離が長く採算がとれないことを理由に交渉に応じなかった。そこで、寅五郎らは三カ所村電灯組合を結成し熱心に導入を働きかけた。その結果、1920(大正9)年に点灯するに至った。
 しかし、電柱およびその工事は組合が負担すること、設置後の電柱用材確保のための造林や電線に沿う区域の刈り払いの組合負担など、会社側が一方的に有利な契約内容であった。この契約内容からも寅五郎の苦労の一端がうかがわれる。
 ちなみに、鞍岡地区は昭和17年、宮野原地区は同24年、坂本地区は同26年に電灯が点った。


後藤寅五郎の写真
後藤 寅五郎







五ヶ瀬町三カ所の写真
1927(昭和2)年に完成した農業用水路。放水すると虹がかかる(五ヶ瀬町三カ所)

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