鳥原ツル(とりはら)1895(明治28)年〜1981(昭和56)年


●女性小学校長第1号
 1920(大正9)年7月3月、25歳の若さで、全国初の女性小学校長が誕生した。宮崎県師範学校付属小学校訓導から、現宮崎市古城小学校長になった鳥原ツルである。
 「全国初の女性校長」は、校区にも話題が走り「独身の美人校長がくる」と大騒ぎになったという。マスコミにも大きく報じられ、全国から激励の手紙が相次いだ。児童120人、教師4人の学校であった。当時の小学校では、校長も授業を受け持ったが、ツルは校長室のいすに座っていることはめったになかった。
 終日、運動場や教室で児童と一緒に過ごした。授業は形にとらわれず、実際を重視した。理科の授業の一部を家庭科で行い、図書室や炊事場を利用して家庭科の実習を行った。
 ある日、ツルが出張して不在の時、郡内一斉の成績考査(学力テスト)が行われた。ツルが受け持っていた5年生だけは、ずば抜けてよい成績であったと伝えられている。
 彼女の積極的な指導は、児童だけでなく住民にも敬服された。運動会・学芸会などの学校行事には、父母や青年団が出て進んで奉仕した。古くなっていた校長住宅を、青年団が山から木材を切り出し、作業奉仕して立派な瓦ぶきの住宅に建て替えた。
 ツルは宮崎市生まれ、父・定静は本県最初の訓導の1人であった。1915(同4)年宮崎県師範学校女子部本科卒、校長2年で旅順高等女学校教諭として大陸に渡った。後前田医師と結婚、敗戦で宮崎に引き揚げ、医師の夫を助けた。1981(昭和56)年86歳で亡くなった。(甲斐 亮典)
メモ
 鳥原ツルは、1922(大正11)年7月2日、新任地の旧満州の旅順高等女学校に出発した。古城小学校の3年生以上の児童は、大淀駅まで見送って別れを惜しんだ。この時期、鉄道は宮崎〜都城〜吉松〜人吉〜八代を経て、鹿児島本線を北上した。おそらく門司から乗船して大連港に向かったのであろう。
 校長着任の年、古城小学校併設の農業補習学校長も兼任、校区の住民に青年教育の必要を説き、自ら夜学の指導にもあたった。
 校長をよく助けた首席訓導に渡瀬ミツがいた。彼女も師範学校卒の優れた教師で、校長と一体になって公務を担った。彼女はツルの転出後、病気となって休職、人々に惜しまれた。若い女性教師が学校を預かって教育への情熱を燃やし、人々に感動を残した。


鳥原ツルの写真
鳥原 ツル







現在の古城小学校の写真
25歳の若さでツルが校長を務めた現在の古城小学校

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