門川暴(かどがわたけし)1894(明治27)年〜1952(昭和27)年


●県内全域で県民講座
 門川暴は現串間市都井に生まれた。東京商科大学(現一橋大)卒業後、日本銀行に入り、各地の支店長や国債局長・監事を務めた。1948(昭和23)年に多くの人に請われて、日向興業銀行(現宮崎銀行)の第4代頭取に就任。当時は戦後の混乱から復興へ向かう時期で、預金増強運動や「お客さまには親切に、事務は手早く」とサービスの向上などに多大の実績を挙げた。
 1952(同27)年の銀行創立20周年記念行事では小説・論文・標語の懸賞募集、上杉鷹山・若山牧水など郷土偉人を顕彰し、青少年の健全育成を目的とした『日向文庫』の出版、中小企業経営講座、日向興銀文化講座、同じく県民講座、また記念音楽会としてピアノ独奏会(ベートーベンの夕べ)・東京芸人オーケストラ公演などの文化事業を実施した。日向興業銀行、県立図書館、宮崎大学の3者が提携し、県内外に呼びかけるというユニークな文化活動であった。
 文化講座は火野葦平「将来の日本文学」、南原繁「独立日本の試練」など、いずれも当代名士の格調高い内容であり、県民講座は第1回の北川村(現北川町)から最終回の日向市まで実に298回をかぞえ、開催地は県内全域にわたった。内容は「婦人の新しい集い」「農村料理」など生活に結びついた身近で親しみやすいものであった。
 銀行業務の傍ら県民文化への献身的奉仕の途中に急病に臥して、諸行事が進行しつつある中で惜しまれながら同年逝去した。翌年2月には、県の特別文化功労者として感謝状が贈られた。(藤井 美智雄)
メモ
 「門川氏は日向興銀在職中、本年5月18日突然死去された。本稿は氏生前の執筆に係るもので、しかも脱稿後5日目に亡くなられた最後の絶筆であります」と、前書きされた「宮崎県の経済総合開発」と題する論評が、1952(昭和27)年12月に発行された『宮崎県大観』上巻に掲載されている。
 4,000字ほどの短文であるが、当時の本県経済成長を示唆する貴重な意見を説得力のある論理で述べ、郷土愛にあふれた人柄を示したものといえる。
 要旨は、本県の経済発展が遅れた原因を地理的条件の不利や県民の政治意識の低調など6項をあげ、今後の努力・工夫で繁栄が約束できると奮起を促し、結論として、電力開発・工場誘致・県内資本による企業経営を指標としたものである。
 「誠」をもってすれば苦難を打破できるという門川の強い信条で論じてある遺言ともとれるし、現在でも通用する。


門川暴の写真
門川 暴







日向文庫の写真
若者たちのために郷土の偉人を顕彰した内容の『日向文庫』

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