森永貞一郎(もりながていいちろう)1910(明治43)年〜1986(昭和61)年


●人間味あふれる官僚
 1910(明治43)年に小林市に生まれ、大正デモクラシーの時代に育った。幼少の時から俊敏で温厚な人柄であった。
 父・貞右衛門は町会議員・商工会長などを務め、1922(大正11)年西諸貯蓄銀行を創立。後に日向興業銀行(現宮崎銀行)第3代頭取となった人である。独学力行の人でキリスト教の信仰あつく、日本基督教団小林教会を設立した人でもある。
 貞一郎は、旧制小林中学校、第五高等学校を経て、1931(昭和6)年東大法学部を卒業した。彼の学歴は、普通の人より2年短縮で大学までを終わっている。旧制中学校には、小学校5年修了で入学。旧制第五高等学校には、小林中学校4年修了で入学した。当時の秀才コースを進んだ青年であった。大学まで一気に走り抜けた人ということができる。
 大学卒業の年大蔵省に入り、2年後の24歳で静岡税務署長に登用された。太平洋戦争中から本省課長、参事官などを務め、1948(同23)年に経済安定本部総裁官房次長、翌年大蔵大臣官房長、4年後大蔵省主計局長、次いで1957(同32)年大蔵事務次官を務めた。
 その後各種の要職を経て、1974(同49)年に日本銀行総裁となった。1979(同54)年に退任し、以後皇室参与となり天皇へのご進講などを務めた。官僚トップの要職にあっても、すこしも高ぶることがなく、政治家に追従することもなかった。人徳温容の人として慕われた。勲一等旭日大授章を受け、小林市名誉市民。1986(同61)年、76歳で没した。(志戸本 慶次郎)
メモ
◎父の薫陶
 父・貞右衛門は1879(明治12)年生まれ、幼い時に父を失って家を継いだので、進学をあきらめ独学で勉強した。
 若い時は行商を営んで家業を起こしたが、その傍ら勉学を怠らなかった。
 子供の教育にも熱心で、1915(大正4)年小林幼稚園を設立し、キリスト教精神に基づく幼児教育に力を注いだ。貞一郎は、生来素朴で、飾るところがなかった。国の中枢にある官僚となっても、学生の時そのままのような印象があった。彼の髪には、整髪料などつけられていることはなかった。国会でも、政治家にへつらうところは少しもなく、厳然として信念を貫く答弁をした。彼を知る人は、今も父の薫陶の深さをいう。


森永貞一郎の写真
森永 貞一郎







自宅で家族と一緒に撮影した写真
自宅で家族と一緒に撮影した写真=旧制第五高の生徒のころ

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