柿原政一郎(かきはらせいいちろう)1883(明治16)年〜1962(昭和37)年


●地域重視の姿勢貫く
 政治家は地方議会を経験し国会の舞台を踏むと思われがちである。柿原政一郎は、その逆のコースをたどり、地域を重視する姿勢を貫いた。柿原は高鍋町に生まれた。東京大学文学部哲学科に学び、1907(明治40)年、倉敷紡績社長大原孫三郎や石井十次に師事、労働問題・社会問題を実地に研究した。この経験が後の彼の政治姿勢に大きな影響を与えたといわれる。
 1914(大正3)年、岡山市の中国民報社などの社長を経て、1920(同9)年総選挙に政友会から立候補し当選した。衆議院議員時代は県外送電反対運動や県営電気創業にかかわった。また不況に悩む養蚕農家の救済のため、全国主要地に乾繭倉庫を建設することを提唱した。
 その後、しばらく中国地方で会社経営に当たっていたが、石井十次没後1926(昭和元)年に解散した岡山孤児院(茶臼原分院を含む)の清算人となり、後見役を引き受け、石井記念協会の製茶事業に協力した。1935(同10)年宮崎市長に就任。そして1937(同12)年、県会議員に出馬し当選。1939(同14)年には県議会議長となった。
 その後高鍋町長となり、同町と上江村の合併に尽力。また南九州化学、宝酒造などの工場誘致、製茶、養鶏など産業の振興に力を入れ、町立図書館や町営球場の建設を果たした。このほか財団法人正幸会の創設、県内最初の老人ホームの建設などを手がけた。1960(同35)年高鍋町名誉町民となった。(若山 浩章)
メモ
 財団法人正幸会は、柿原政一郎が、父・正一の遺志により、遺産の大半を会の資金に充てて1947(昭和22)年に設立した。旧藩の明倫堂文庫を近代的図書館に改建しそれを高鍋町に寄付、さらにその維持についても協資し、地方文教の各種援助を行うことをその目的にしている。なお正幸会は祖父の名に由来する。
 1955(同30)年3月、町立高鍋図書館は開館されるが、柿原は初代館長になっている。当時72歳の柿原は、宮崎大学の図書館司書長期講習会に通い司書の資格を得たという。同館は1977(同52)年に改築、翌年新館としてスタートした。


柿原政一郎の写真
柿原 政一郎







町立図書館の写真
現在の町立図書館

目次へ
58 薦田 一吉のページへ
60 杉田 直のページへ