武者小路房子(むしゃのこうじふさこ)1892(明治25年)〜1990(平成2)年


●新しき村で天寿を全う
 「お互いが人間らしく生き、むつみ合い、そしてお互いの個性を尊重し、他人を傷つけることなく、しかも天命を全うすることができる理想郷、いわば調和的な共同体をめざす」そんなスローガンを掲げて、1918(大正7)年11月「新しき村」が現木城町石河内に開設された。その中心人物は「白樺」派同人・武者小路実篤。房子夫人を伴っての入村であった。小説『土地』にようやく桃源郷を探し当てて驚喜する場面があるが、その時実篤33歳、房子26歳。
 武者小路房子は福井県大野の素封家竹尾茂の4人姉妹の長女として1892(明治25)年に生まれた。1912(大正元)年実篤と結婚。やがて千葉県我孫子の家を処分して、夫に従いはるか日向の山村に居を定めた。入村者は子供を含めて約20人。5年後には44人となった。その間レコードコンサート、演劇、絵を描き、通信を出し、農作業をし、水路を開いたりした。しかし実篤と飯河安子の恋愛問題が起こり、彼は去り村外会員になった。房子もまた杉山正雄との恋愛事件が起こり、実篤とは別れて生活することになった。4年後の1932(昭和7)年に房子は杉山と正式に結婚。実篤は2人を養子にして武者小路姓を名乗らせ、2人は「日向新しき村」に生涯をかけることとなった。
 1938(同13)年に小丸川総合開発計画で美田が湖底に沈み、村のシンボルだったロダンの岩が消えたのが致命的であった。夫杉山は村の存続にすべてをささげた。房子は理想の灯を消すことなく誇りを持って天寿を全うした。1998(平成10)年開設80年を迎え記念碑が建立された。(黒木 淳吉)
メモ
 武者小路房子を訪ね、思い出話を聞いた中から許しを得て回想という形で、黒木清次がまとめた『武者小路房子−古くて新しき村とともに50年−』(日向おんな)がある。
 「本当の愛情というものをわたしが知ったのは、村に入ってからでした。(中略)病気と幻滅感、いっぽうにはそのときまでに不自由なく豊かな生活の中に気ままに育ってきたわたしには、無意識のうちにそなわっていた高慢さ−そうした交錯したわたしの精神と肉体の苦難の時期を温かくいちずに支えてくれたのが杉山でした」。
 「3、4年前ひょっこり訪ねてきた詩人の伊藤信吉さんが、わたしがいっしんに読みふけっている姿をふと後ろから眺めたとき、一種の鬼気を感じたという意味のことを書いていました」2つの面を持つ彼女の姿が見える。


武者小路房子の写真
入村65年目ごろの武者小路房子







家の写真
房子と杉山正雄が暮らしていた家

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