小田黒潮(おだこくちょう)1896(明治29)年〜1978(昭和53)年


●戦後の県俳壇を指導
 国境の山河よさらば雁とともに
 天癩の地なり熱風蒸して吹く
 西湖畔雨戸に濡れし灯を置けり
 黒潮の一世一代句集『大陸春秋』に収められた句。同集には520句が収録されているが、この3句は作者白身が気に入っていた作品で、戦陣にあった作者の哀感が漂う。冒頭の句は、山下奉文(第1・2方面軍司令官)の指揮下を離れて、別地の派遣軍に加わるときの作。
 戦後、戦争にかかわる俳句は排撃され黒潮の胸中に去来する秘句に過ぎなかったが、「虚子550句」の中に「霜の楯氷の剣に句を守る」を見いだし、句集出版の勇気を与えられた。実は、1940(昭和15)年の冬、黒潮が虚子をホトトギス発行所に訪ね、激励を兼ねて託されたのが、この「霜の楯」の句であった。同集の「後記」に黒潮は「戦争に行って何の得るところもなかった」と言い、いろいろな思いを語っている。
 俳誌『ホトトギス』雑詠の巻頭を占めるほどに、身は戦地にありながら句作に精進したのであった。高浜年尾(虚子息)の序文、本集は1967(昭和42)年8月、同友の協力を得て出版。
 黒潮は本名城吉。高知市に生まれ陸軍士官学校を経て、第4師団(大阪)に配属された。以後、大陸を転戦、陸軍大佐で終戦。帰国するや綾町南俣(揚町)に居住、戦後の混乱した社会に“俳句の灯”を掲げた。
 1998(平成10)年、創刊500号を迎えた県俳壇の中心俳誌『椎の実』を主宰するなど、県俳壇の指導者として活躍した。神尾季羊と有馬久美子の媒酌の労をとったのもこの人。県俳句大会をはじめ新聞俳壇の選者、晩年は県俳句協会の名誉顧間に推された。県俳壇史に残した業績はすこぶる大きい。(山口 保明)
メモ
◎2つの黒潮句碑
 綾北川の清流のほとり、自然休養村センター綾川荘前庭に建つ句碑。
 山川の彼方に激し茲に澄む
 いかにもこの地にふさわしい。1975(昭和50)年5月の建立。
 いま一基は、黒潮が出向き精力的に指導を続けた五ケ瀬句会が敬慕と顕彰の意を込めて、1978(同53)年に建立。しだれ桜で著名な五ケ瀬町浄専寺の境内にある。
 舎利塔にしだれ桜の風かよふ
 黒潮の思いが春風に託され、伝わってくる清楚(そ)な句趣である。除幕の喜びを同志と分かちあったこの年の暮れ、黒潮はこの世を去った。行年82歳であった。
 俳人ならば誰しも心を寄せるのが芭蕉。俳誌「椎の実」に連載の黒潮述「山峡雑記」。その中に“馬と木槿(むくげ)”があり、
 道のべの木槿は馬に喰はれけり
 この芭蕉の1句を馬の生態に精通している黒潮は、みごとな観察力で評釈している。


小田黒潮の写真
小田 黒潮







小田邸の写真
黒潮が活動の拠点とした小田邸(綾町南俣)

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