楢木範行(ならきのりゆき)1904(明治37)年〜1938(昭和13)年


●民俗学研究の先駆者
 宮崎県出身の民俗研究者楢木範行は、『後狩詞記』を記した柳田國男にとって、強い印象を与えた人物であった。現在刊行中の「柳田國男の本棚」シリーズ(大空社)にも取り上げられている。
 楢木は、1904(明治37)年5月、現えびの市大字島内に生まれた。子供9人の大家族で、父茂吉の土地の伝承に関する博学が、後に範行の民俗学を志す素因となった。真幸小学校、加治木中学校を経て、1922(大正11)年、國學院大学高等師範部に入学した。このとき折口信夫に出会い、民俗学を志すようになった。同校卒業後、長野県上伊那農学校で2年半教壇に立ち、その後、鹿児島県立商船学校に転じ、教職のかたわら民俗研究をすすめた。そして鹿児島民俗研究会を野間吉夫らと設立し、鹿児島県内を中心に調査を行った。やがて、椎葉村や宮崎市、えびの市などに調査を広げ報告書をまとめた。中央との連絡も絶えず取り合い、柳田國男をはじめ、最上孝敬・大間知篤三らとの親交も深かった。そうした研究の成果が実を結んだのが、1937(昭和12)年『日向馬関田の伝承』で、地方における「地域民俗学」が目指すべき方向が実践されており、学界でも注目された。この巻頭には地方の若手研究者に日本民俗学の将来を託する柳田自身のことばが寄せられている。
 1936(昭和11)年1月結婚、1938(同13)年2月長男茂行が生まれた。彼は同年4月、飯野の妻ミチの実家で、脳出血により満33歳10カ月の人生を終えた。(渡辺 一弘)
メモ
 『日向馬関田の伝承』は鹿児島民俗研究会が1937(昭和12)年12月に刊行した民俗誌。1933(同8)年から『旅と伝説』などに発表したものを中心に構成した「わがむら・村の大事件・家の盛衰・祭事(八石祭・雨乞い祭り)・年中行事・産育・婚姻・葬送・ことわざ・生業・交易・講・食物・妖怪・俗信」などについて父・茂吉からの聞き取り調査である。柳田國男の序文は、刊行の翌年楢木本人が亡くなることを暗示しているようで涙を誘う。


楢木範行の写真
楢木 範行







えびの市島内周辺の写真
楢木が小さいころ過ごしたえびの市島内周辺の集落

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