原田八郎(はらだはちろう)1899(明次32)年〜1984(昭和59)年


●伝続の祭り守り抜く
 南郷村神門に生まれた。代々神職で、1914(大正3)年、神門尋常高等小学校第2学年を卒業、翌年から1年8ヵ月都農神社で皇学を学び、1923(同12)年に神門神社の社司となった。また、教職に就き1922(同11)年には神門尋常高等小学校の代用教員、1926(同15)年に同校の訓導となり、1932(昭和7)年からは南郷村の助役に就任した。
 昭和初期、文部省から派遣された広瀬都巽(とせん)・新納忠之助の両学者が、1935(同10)年ごろには西都原古墳群を発掘した鳥居龍造がそれぞれ神門神社の宝物である銅鏡の調査に来村、八郎はその調査に立ち会った。これらは同社に伝わる宝物の文化財的価値の高さを再認識することになった。
 戦況が厳しくなった1945(同20)年、空襲や戦火が内地に及ぶことを想定し、境内に防空ごうを掘り、ご神体や宝物の避難訓練を行った。また、終戦後の食糧事情が最悪の時師走祭りの開催が危ぶまれたが、八郎は「この師走祭りをやめるわけにはいかん」と頑張った。この時、教え子たちが米1俵、やみ焼酎3升を届けてくれ何とか祭りを継続できた。これは彼にとって生涯忘れられない出来事である。
 1955(同30)年から1966(同41)年にかけて、奈良国立博物館や文化庁、国学院大学などからも相次いで宝物の調査に訪れた。
 彼は同社の宝物の重要性を村当局や県に訴え続けた。1965(同40)年には銅鏡三十三面が県指定文化財に、1971(同46年)には10年近くの運動が実り念願の宝物殿が完成した。
 現在、八郎が大切にした神門神社の有形・無形の文化財は同村の貴重な資料となっている。(前田 博仁)
メモ
◎師走祭り
 南郷村は百済王亡命伝説をもとに、ユニークな地域起こしを展開し、県内はもとより国内外から注目され、多くの観光客が訪れている。その核となる1つが師走祭りである。
 この祭りは、日本へ亡命した百済の福智王をまつる比木神社と父の禎嘉王をまつる神門神社の間で古くから行われている。江戸後期の『筑紫日記』や『高千穂採薬記』に記載されており、すでにそのころには行われていた。
 かつて、片道90キロの道程を9泊10日で巡幸していた。現在はそのほとんどを車で移動し2泊3日となっているが、江戸期は藩域を越え、現在は行政区をまたがって神幸する祭りは他に例をみない。
 平成3年、文化庁はこの祭りを「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択した。


原田八郎の写真
原田 八郎







師走祭りの写真
百済王伝説の師走祭り
神門神社と比木神社を巡幸する

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