本部マサ(ほんぶ)1907(明治40)年〜1991(平成3)年


●はにわづくりの生涯
 宮崎空港から市街地に向かう道路で、大きな人形のはにわが遠来の客を笑顔で迎えてくれる。
 県内では官庁や学校、ホテル、公園などにはにわが置いてあるのをよく見かける。
 この古代色豊かで素朴なはにわは、本部マサが手がけたもので、今では宮崎の土産としてすっかり定着している。
 マサは下穂北村(現西都市)に生まれた。林業や商業を営む父大次郎は、古墳や出土品に興味を持ち、大正初期、有吉知事が計画した西都原古墳群の発掘調査に側面から協力し、その保護に携わった。
 そういう家庭環境に育ったマサは、古墳からの出土品のかけらをままごと遊びに使って育った。
 女学校に入ったころから、古代へのあこがれが強くなり出土品を収集したり、七輪で実際に焼いたりした。彼女の制作意欲はますます強くなり、合格した女子大の進学もやめ、本格的にはにわ作りに没頭した。
 1955(昭和30)年、宮崎市に本部はにわ製作所を設立。そのころ、宮崎は南国的な情緒が受け観光客が増えてきた。それに伴ってはにわの売れ行きは順調に伸び、多いときは180人もの従業員がいた。
 そんな中、マサは国内で出土したはにわの模作を展示する原始的雰囲気を醸し出せる場所を探した。そのイメージに合致する所、それは平和合公園の一角、木立に囲まれた丘陵であった。
 当時の知事や宮崎交通社長らの理解と支援もあり、1963(同38)年、約400基の複製のはにわが設置され、念願の「はにわ公園」が完成した。(前田 博仁)
メモ
◎マサの人柄
 マサがはにわ作りで心掛けたことは顔の表情であった。人形作りや面彫刻などでよく耳にすることであるが、顔は制作者に似てくるというもので彼女も同様なことを言っていたという。素朴な表情は目で決まると考え、近所の子供たちとよく遊んだ。童心に学ぶ、童心にかえる、このことを常に考えてはにわを制作した。
 マサのはにわに魅せられて多くの有名人が工場を訪ねてきた。その中に川端康成もいた。1964(昭和39)年、NHKの連続テレビ小説「たまゆら」取材のため宮崎市を訪れたときのことである。
 1985(同60)年、マサの業績をたたえようと表彰が話題となったが、彼女はそれに対し、自分が作っているはにわは古墳時代の人々が制作したはにわの模倣で自分の創作ではないと丁寧に断った。身内は名誉なことであり製品も売れると大いに喜び、申し出を受けるように勧め、また、県の担当者も何回も足を運んだが断ったという。


本部マサの写真
制作中の本部マサ







はにわ公園の写真
訪れた人を楽しませてくれる平和台公園内のはにわ公園

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