奈須敬二(なすけいじ)1931(昭和6)年〜1996(平成8)年


●世界有数の鯨研究者
 奈須敬二が海洋学者として名を成したのは、幼少時代の環境による。門川の生家の前に広がる日向灘の潮騒を聞き、尾末湾に注ぐ五十鈴川の清流に親しんだ毎日が、いつしか幼心に海と魚にひかれるものを培っていった。
 旧制延岡中学校から現在の東京水産大学に進み、そこで宇田道隆教授を知った。世界的海洋学者との出会いであった。教授の講義は完全に彼を魅了し、卒論の指導も受けた。研究の対象は古里の海。テーマは「日向灘に於けるイワシの海洋環境」であった。
 大学院に進み、宇田の門下生となったある日、師から「現在世界で海洋環境に関する研究は皆無である。将来必ず必要な時が来るであろう。君がやりたまえ」の一言で、研究は体長20センチのイワシから、100倍以上もある鯨へと変わった。また、「自然科学の研究は、自然現象を自分の目で確かめることにはじまる」という言葉は、宇田の師である寺田寅彦の教えでもあった。大学院を終えるとすぐ、鯨の宝庫といわれるベーリング海へと向かった。この4カ月にわたる航海は鯨研究への第1歩であった。
 以後40年間、水産庁を退官するまで、「行動する学者」であり続けた。鯨を追って南極、北極、世界の海を駆け巡ること2,300日、解剖した鯨6,000頭。鯨を対象に調査研究した海洋学で、東京大学から農学博士号を授与された。
 帰郷後の彼は、幼年時代の海辺に居を構え、自適の生活を夢みて、取材・執筆・講演に席のあたたまる暇もないまま、蒼惶(そうこう)としてこの世を去った。65歳の生涯であった。(川並 俊一)
メモ
◎牧水とクジラ博士
 1993(平成5)年秋、著者は「東京牧水会」発会式に招かれた。代表に門川出身の奈須敬二という人が選ばれた。鯨類の研究では世界有数の学者、と紹介された。全くそんな気取りは見られなかった。著者は、なぜ「牧水と鯨博士」かが関心事であった。
 その後、彼の海洋学は「地球環境への提言である」ことを知った。南極、北極の果てまで及ぶ自然破壊、森から川、川から海へとつながる生物のエコロジーなど、その明快な論説は現代文明への警鐘でもあった。
 一方いま、牧水の今日性が問われる。その叙情詩の底流には、常に「自然との共生」が在る。奈須敬二は自然科学を学ぶほどに、郷土の先輩牧水の思想に共感を得て、しばしばエッセーなどに記している。
 帰国後、牧水の『鯨の歌』歌碑建立を計画した。その夢を継いで、友人たちにより盛大に除幕された。
 鯨なすうねりの群の帆のかげに
  船子等(かこら)は金属(かね)と光りいゐにけり
   牧水


奈須敬二の写真
気さくな人柄だった奈須敬二(平成6年帰郷当時)







シロナガスクジラの写真
1958年、北洋で捕獲した体長28メートルのシロナガスクジラ(奈須は前列石)

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