大迫倫子(おおさこりんこ)1915(大正4)年〜


●戦時下ベストセラー
 1940(昭和15)年5月10日、倫子25歳のときに、東京・偕成社から『娘時代』を発刊。16、7歳ぐらいから書き留めていたものを、当時東京市の港湾局長だった父・大迫元繁(高岡町出身、65年82歳で没)が友人の弟が経営する偕成社に持ち込んだのが発刊のきっかけである。
 戦時下にありながら、若い女性の言い分があまりにも大胆率直に述べられているため、偕成社では出そうか出すまいか、激論の末、結局、書かれてあるエッセーの項目のひとつ『娘時代』を書名として発刊した。ところが、発売されるやいなや、爆発的売れ行きとなった。それこそ飛ぶように売れた。
 発刊の翌年1月までに260版を重ね、40年12月に発刊された姉妹編『娘の真実』も人気上々で、双方で50万部という超ベストセラーに。当時の日本の人口は7,300万人。今ならミリオンセラーである。ところが、内容があまりにも自由主義的だとして、『娘の真実』と一緒に約1年で発刊停止、絶版となった。
 元繁は1926(昭和元)年、東京市の社会教育課長を辞職、宮崎県から衆議院選に立候補して落選した。しかし、県公会堂で「われ敗れたり、されど心は感謝にみてり」という演説が民衆の心を打ち、初代宮崎市長に迎えられた。このとき、元繁は家族を連れて帰ってきた。倫子は2女で、宮崎市立第一尋常小学校4年に編入。1929(同4)年、県立宮崎高等女学校に入学、1年在席した後、東京の成女高女へ。卒業後、婦人画報の記者となる。(三宅 理一郎)
メモ
 素人娘のエッセー集に、高見順、古屋信子、西條八十、片岡鉄兵らが序文を寄せているのも目を引いた。いずれも倫子が記者時代などに交わった作家たちである。
 倫子は発刊停止になったあと、旧陸軍の命令で中国に「宣撫(ぶ)班」として徴用され従軍。結婚で渡ったベトナムから戦後引き揚げ、作家活動を開始、新聞や婦人雑誌で活躍するが、母の死や手足がまひする多発性神経炎という病気に見舞われ、1970(昭和45)年ごろ、作家活動をやめた。
 それまでに残した著書は20数冊。その中には『異郷』という小説やノンフィクション作品もある。『娘時代』は平成10年6月、みやざき21世紀文庫として、鉱脈社から出版された。
 倫子は東京・井の頭公園近くの閑静な住宅街で余生を送る。足が不自由だが、菊池寛が彼女を才気利発な娘と言ったように、年を重ねた今も発する言葉は、若いときの片りんがうかがえる。世相を切る評論などはいささかも衰えていない。


大迫倫子の写真
戦後、評論家として活躍するころの大迫倫子







娘時代の写真
1998年6月、鉱脈社から発刊された『娘時代』

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参考文献