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序文
昭和期


 昭和期は、激動の時代と呼ばれる。振幅の大きな時代である。
 初期は政党政治の全盛期で、昭和3年(1928)本県でも民政党と政友会の政争が起こった。当時県は女子師範学校を都城に移転改築する案を進めていた。宮崎市側はこの案に猛反対で、予算審議を予定していた県会議事堂には2,000の群衆が押し寄せ、宮崎市の消防団が議事堂に向かって放水する騒擾(そうじょう)事件が発生した。県会は移転推進派の政友会が多数を占めていたが、宮崎市は民政党が反対運動を主導した。事件後多くの検挙者を出し、移転問題も立ち消えとなった。昭和4年、世界大恐慌が起こり、日本も否応なく渦中に巻き込まれた。製糸業は操業中止に追い込まれ、養蚕農家は窮乏した。
 昭和2年、台風の猛威によって橘橋が流失、同7年永久橋となった。その翌年、県庁舎が完成した。同年、再置県50周年を記念して開催された祖国日向大博覧会は、延23万人を集め、昭和6年に始まっていた遊覧バスも、この博覧会を機に評判となり、観光に一役買うことになった。昭和恐慌を克服出来ないまま、国政には、軍部の影響が強く作用する。同12年(1937)祖国振興隊の結成が始まり、県下に勤労動員の活気が溢れる中で戦時体制は日毎に強まった。さらに日中戦争は太平洋戦争へと拡大し、同20年になると、県内各地はアメリカ軍の空襲に晒された。戦後の復興は総合開発から始まり、同30年には大型の上椎葉ダムが完成した。太陽と緑の国を標榜しながら、観光産業の進展が図られ、広域動脈としての高速道路網も拡大している。21世紀に向かって人間の真価を問われる時代が進展しつつある。


旧橘橋の写真
大淀川にかかる旧橘橋

青島の写真
新婚さんでにぎわう宮崎市・青島

宮崎国体の写真
宮崎国体秋季大会1979(昭和54)年

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