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序文
大正期


 明治44年(1911)本県は有吉忠一知事を迎えた。彼は積極的な事業開発の意欲を持ち、県営鉄道の敷設、内海・油津の港湾修築、用水開発・開田などを進めた。また日向国史の編纂、国内初の発掘調査として知られる西都原古墳の学術調査などを行った。大正4年まで5年間在任し、停滞していた県勢に活気を生んだ。
 大正3年(1914)、桜島が爆発し、その降灰で養蚕業は打撃を受けた。この年、ヨーロッパに起こった第一時世界大戦は、わが国に好景気をもたらし、鉄鋼、紡績、電力、木材などの業界は成長した。明治後半から県内には小規模の製糸工場が各地にあったが、この時期に郡是製糸工場、鐘紡製糸工場などが進出し、在来の小規模工場を買収・合併した。
 明治末期から開発が進んでいた県内の水力発電は、大正期に急成長した。水力発電資源として、県内河川は注目され、大手の電力会社が進出した。これに伴い電力が県外に送られてしまうことに反発して、県外送電反対の大運動が起こった。大正13年(1924)県内の需要を充たし、優遇することになって収束した。
 大正12年、日豊線が開通し、本県は鉄道によって阪神・京浜地方と結ばれた。鉄道の波及効果は多面に及んだ。先ず宮崎町と大淀町が合併して宮崎市が誕生した。延岡に日本窒素肥料延岡工場が立地、後の旭化成の起点となった。
 宮崎付近では、かぼちゃ、きゅうりなど野菜の促成栽培が普及し、鉄道で大量出荷されるようになり、輸送園芸の基礎が形成された。学校教育も向上し、子供の洋服やゴム靴も普及し始めた。鉄道が文化の移入と拡大に果たした役割は大きい。大正期は本県の躍進期となった。


宮崎軽便鉄道の写真
宮崎軽便鉄道


旧都城市上町通りの写真
旧都城市上町通り

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