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序文
夜明けの時代


 徳川幕府が日本を治めた後半の100年間、即ち18世紀半ばから19世紀半ばまでの時代は、近代日本を生み出す夜明けの時代である。
 江戸・大坂・京都の三都をはじめ、諸藩の城下町は大きな消費都市となり、貨幣経済が浸透して農村の自給自足体制は崩れ、幕府と諸藩の体制を維持することは困難となっていった。
 19世紀に入ると、すでに産業革命を進めて資本主義の時代に入っていた欧米諸国は、圧倒的な国力を以てアジアに進出し、アヘン戦争は鎖国日本に警告をもたらしていた。
 日本は内政・外交ともに、幕藩体制を脱皮しなければならない時期に来ていた。
 幕府と諸藩は、文武の奨励や財政建て直しを軸に、体制の維持を図ろうとしながら激動の幕末を迎えた。こうした時代には、能力を持った者が登用され、時代に相応しい人物が出て人々を啓発し社会を牽引する。時代が人物を生むのである。人材輩出には、当然ながら昌平黌(しょうへいこう)と藩校がその役割を担ったが、優れた学者の私塾にも多くの門弟が集まった。能力ある若者は藩校に学び、俊才は藩の給費生などになってさらに修学した。そこで眼を開いた若者は、帰国して藩校の教育に携わったり、藩政の中枢を担ったりして、改革の機運がつくり出されていった。
 文久3年(1863)の薩英戦争、その翌年の4ヵ国艦隊下関戦争後の薩摩と長州は、やがて討幕〜維新を主導する勢力となった。
 小藩分立していた日向では、西欧の衝撃にも直面せず、各藩独自の立場で時勢の動向を探りながら維新期を迎えた。
 日向という地域的一体感は、まだ育っていなかった。日向諸藩の動向は後に述べる。


油津港の絵
三代広重の油津港


延岡城下図屏風の絵
今山八幡宮下に設けられた能舞台(延岡城下図屏風/部分)所蔵:吉田精孝氏

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