みやざきの神話と伝承101ロゴ 3 徐福岩
 
 
 
       
  ●始皇帝派遣の船漂着
 中国大陸と日本列島は、原始・古代から関係が深い。稲作文化を伝えた人々も中国から直接に、または朝鮮半島を経て日本にやってきたと推測されている。
 紀元前3世紀ころの中国の秦の始皇帝の時代に、大挙して日本に渡ってきた人たちがいたとするのが「徐福」伝説である。強大な独裁者となった始皇帝は、不老不死を願った。あるとき、徐福(または徐市・じょふつ)という者が、東方の海に蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、瀛州(えいしゅう)という神山があり、そこに行けば不老不死の神薬が求められると申し出た。始皇帝は童男、童女数千人を集め、巨万の富と多数の船を用意させて、徐福を東方に出発させたという。
 このことは、今から2千年も前の紀元前、「史記」という中国の歴史書に書かれていることとして、広く伝承されてきた。
 東方を目指した徐福だが、ついに帰国することはなかった。日本列島のどこかに上陸して、そこに住んだのではないかと考えられている。また始皇帝の命による不老不死の神薬が得られなかったので、皇帝の怒りを恐れ、仲間を集めて巧みに亡命したのではないかとする解釈もある。
 しかし、いずれにしても徐福が向かったのは、東方の日本列島であった。
 延岡市の市街地を一望する今山の山頂に、今山八幡宮がある。社伝によれば、8世紀の半ばころに宇佐八幡宮を勧請(かんじょう)して建てられたという古い神社である。この今山の西南の一角に頭を見せている岩を「徐福岩」という。徐福がこの地に漂着して船をつないだ岩であると伝えられている。
 今山は、別名「蓬莱山」とも呼ばれ、徐福が目指してきたのは、この山であろうと言われる。今山という呼び名は八幡宮が建立されて繁盛する山になったので、後に「今盛んなる山」という意味で呼ばれ始めたからだ。
 徐福伝承は広く各地にあり、古代の神仙思想や道教とのかかわりがあると思われ、研究もされている。蓬莱山とは富士山のことで、徐福が目指したのはそこであるという説もある。
 和歌山県の新宮市には、徐福と彼に従った7人の侍臣の墓があるという。また、近くの那智産の紙は「徐福紙」の名で知られている。鹿児島県串木野市の冠岳は、徐福が王冠を留めた山と言われる。今後の研究が待たれる。
甲斐亮典
 






徐福岩の写真
徐福岩。
このうちの1つが徐福が船をつないだ岩とされる

       
 
 
 

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