みやざきの神話と伝承101ロゴ 5 神武東遷と美々津
 
 
 
       
  ●慌ただしく出発準備
 日向市・美々津港の右岸に立磐神社という社があり、境内に1つの岩が保存されている。神武天皇が日向から東方に向かって船出するとき、この岩の上に立って指図したところと伝えられる。
 「古事記」によると神武天皇はカムヤマトイハレヒコノミコトと呼ばれ、その兄・イツセノミコトとともに高千穂の宮にいたが、「何地に座さば平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむ(いづこにまさば たひらけく あめのしたのまつりごとをきこしめさむ。なほひむがしにいかむ)」と言い、東遷を決めたとされている。
 これに対し、「日本書紀」では、塩土老翁(シオツチノオジ)の「東に美き地有り。青山四周れり(ひむがしによきくにあり。あおやまよもにめぐれり)」という言葉に従って、東遷を決意したことになっている。この記述は、ホオリノミコト(山幸)が、塩椎神(シオツチノカミ)の教えに従って、海神の国に釣り針を捜しに行く説話とよく似ている。
 神武天皇は諸皇子や大勢の船軍(ふないくさ)を率いて美々津で出港の準備をした。「日本書紀」では、出発はその年の冬10月5日とされているが、美々津のお船出伝説では、8月朔日(旧暦8月1日)のこととしている。
 当初予定のときは天候が悪く、船出を見合わせたが、天候が回復したので、出港を8月1日の夜明けに決めた。神武天皇は慌ただしく出発の用意をする中で、着物のほころびに気付いた。
 しかし、衣服を脱いで繕う暇がなかったので、立ったままでお付きの者が縫った。美々津のことを、別に「立縫いの里」と呼ぶのはこのことに由来しているという。
 土地の人々は神武天皇の船出に合わせて、もちを作る用意をしていたが、出発が早くなったので、間にあわなくなった。それで急いで、もちとあんを一緒についた「つき入れ」を作って差し上げた。以来、これは美々津の名物となっている。
 また、早朝の出発のために寝ている人々を起こすことになって「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことが伝承されて、美々津では8月1日に「おきよ祭り」が行われる。
 神武天皇の船軍は、沖の七ツ礁とーツ礁の間を通っていった。この船軍は再び国に帰ることはなかったので、その後この岩礁の間を船で通る者はいない。
甲斐亮典
 






美々津沖の七ツ礁の写真
神武天皇が船出をした美々津沖の七ツ礁

       
 
 
 

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