みやざきの神話と伝承101ロゴ 6 細島海岸の伝説
 
 
 
       
  ●巨鯨退治し鉾立てる
 日向市美々津から、大分県の佐賀関に至る県境を越えた400キロの海岸はリアス式海岸と呼ばれ、変化に富んで美しい。昭和49(1974)年、「日豊海岸国定公園」に指定された。
 神武天皇の東遷伝説が、美々津に生まれたのも、美しい景観と無縁ではないように思われる。
 美々津を船出した神武天皇は、出港して間もなく、風向きが悪くなり、同市細島に船軍を入れて時を待った。このとき、細島の海に巨大な鯨がいて、漁民を苦しめていたので、これを退治して人々の難儀を救ったという。大事をなす前に災いを払うことは、古来行われて来た大祓(おおはら)えの神事を暗示させる説話である。
 同市日知屋の伊勢ケ浜を見下ろす海岸近くに、大御(おおみ)神社がある。昔は脇の浜大神宮と呼ばれていたという。
 祭られている神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)である。日本の建国神話は、天照大御神がその孫ニニギノミコトを葦原中国(あしはらのなかつくに)に降臨させるところから始まる。
 ニニギノミコトが、日向の国の高千穂の峰に降臨されたとき、天照大御神が美しい海辺のこの地まで来て、休んだ所と伝承されている。ニニギノミコトの降臨伝説地は県内に数カ所あるが、天照大御神の巡幸伝説地は珍しいと言える。
 東遷の途中、風待ちのためにここに寄港した神武天皇が巨鯨を退治した後、武器の鉾(ほこ)を立てて置いた場所を鉾島と呼び、そこを後に細島と言うようになった。細島の地名の由来を語る伝説である。
 神武天皇はこのとき、伊勢ケ浜から港に入り、大御神社の地で天照大御神を祭り、航海の安全と武運を祈って出発したと伝えられる。ちなみに、江戸時代には、延岡藩主や細島の天領役人などの尊敬もあつく、「日向の国のお伊勢さま」と呼ばれていたという。美々津のお船出伝説に関連して、海岸に沿って神武伝説が語られていったのであろう。
 ところで、明治初期に日南市飫肥から出て活躍した先賢・平部きょう南は「日向地誌」を残した。それによると、大御神社を「旧名脇ノ濱大神宮」としているが、「祭神審(つまびらか)ナラス」と書いている。港の入り口には古来、神が祭られるから、伝承は古いというべきか。
甲斐亮典
 






大御神社の写真
大御神社。
日向の国のお伊勢さまとも呼ばれる

       
 
 
 

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