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| ●「妻」でニニギが求婚 西都市妻の都万神社は、コノハナサクヤヒメが祭神で、平安時代からその名が出てくる。 高天原から降臨したニニギノミコトは、この地を歩いていたとき、水くみにきているコノハナサクヤヒメに出会い、結婚を申し込んだ。その出会いの場所は、今も逢初(あいそめ)川と呼ばれて残っている。 ここには、コノハナの美しさにひかれている鬼がおり、父神・オオヤマツミノカミに、コノハナをほしいと申し込んだ。オオヤマツミは断り切れず、一計を案じて鬼に言った。 「一夜で岩の御殿を造ってくれたら、コノハナをやろう」 鬼は喜んで一晩中働き、鬼の岩屋と呼ばれている古墳を造った。オオヤマツミは、鬼がうたた寝をしている間に、岩屋の石を1つ抜いて遠くに放り投げた。この石が落ちたところが西都原古墳群のふもとにある石貫であるという。後にオオヤマツミが祭られて石貫神社となった。オオヤマツミは、鬼に「この宮は石が1つ足りない」と言って、娘はやらなかった。 神話・伝説の中では、神様が物を放ると、遠くまで飛んでいくことになっている。タチカラオが投げた天の岩戸も、イワナガが投げた鏡もそうである。 ところで、結婚したニニギとコノハナが生活した御殿を八尋(やひろ)殿といい、コノハナが戸のない産屋に入って火をかけ、お産をしたところを無戸室(うつむろ)という。その跡と伝えるところが、それぞれ残されている。 石貫神社から古墳群のある台地に石段を上がると、すぐ右手に、オオヤマツミの墓と伝承される古墳がある。また、コノハナが御子を産んだとき、産湯に使った水のあるところを「児湯の池」と言い、今もその池が残る。 都万神社のあるところを妻と呼ぶのは、ニニギがコノハナと出会い、「あなたを妻にしたい」と言ったところから、この地名が起こったと伝えられる。このことにちなんで、都万神社では七夕神事が行われている。 西都原古墳群には、300基以上の古墳があり、ニニギの墓と伝えられる男狭穂塚は全長219メートル、またコノハナの墓と言われる女狭穂塚は全長174メートルもある。この巨大古墳が築造されたのは、5世紀前半と推定され、日向人の祖先神話の聖跡として知られている。 甲斐亮典
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