みやざきの神話と伝承101ロゴ 45 大王米良入山伝説
 
 
 
       
  ●一族落日で身を隠す
 後醍醐天皇の時代、元弘、建武(1331−1334年)のころから天下が乱れ、朝廷方の武運も衰えていった。肥後(熊本)では、菊池一族が天皇の命を受け、九州統一に力を注いでいた。しかし、武運も傾き、勢力も衰え、ついに総崩れとなった。
 菊池氏は、代々勤王の志厚い一族であった。だが、ついに落日のときを迎えた。一族は大王(懐良親王)を守護して、米良山に身を隠すことになった。
 米良山は、山深い九州の真ん中。そこは、しばしば一族が体制を立て直すために隠れ地としていた。
 大王は、わずかばかりの部下と、鶏2羽に唐犬3匹を連れて、東方の山中に道を取った。昼間は山中に隠れ、夜陰に乗じて歩く。食を取るための煮炊き、暖を取るたき火もままならない。不自由で難儀な毎日だった。しかも、師走の寒さは山中のこととて、厳しいものであった。
 行く手にひときわそびえる市房山(お嶽さん・1722メートル)が目当て。米もなく、木の実を食い、わき水で渇きをいやしながら、尾根を越え、谷を渡り、野をはって野営の連続。一行の気力、体力の消耗も大きかった。
 年の暮れ、一行は峠を下りて見晴らしのよい所へ出た。野営の支度中、かなたに人家らしい明かりを見つけた。氏神天神を大木の根方に安置して、家を訪ねることにした。家では老夫婦が夕げの準備中で、薄暗い部屋で囲炉裏(いろり)の火が勢いよく燃えている。一行は訳を話し、食と休養を頼んだ。老夫婦は快く接待してくれた。温かいいもがゆに黒鳥の吸い物。そのかゆのうまかったこと。
 「じいや、米が揺れるのか」
 「はい、少しばかり。田も近くに開いております」
 そのとき、裏山で稲荷の声がした。一行が外に出て裏山を見ると、一筋の光があの大木のところから天に向かって上っているではないか。
 「おお、氏神もお稲荷も参られた。ここぞ安住の地ぞ、じいや、ここは何という」
 「米良と申します」
 大王はここに御所を建て、姓を米良に改め、舞を楽しみ、回天の機を待ちながら暮らした。弘和(1381年)から応永(1391年)の時代ともいう。
 今は、この地を「元米良」という。村人は大王をたたえ、神楽の一演目に組み入れて、南朝方を支えた米良氏の物語を伝承している。
中武雅周
 






元米良の写真
「元米良」。
大王はここに御所を建て、舞を楽しんだ

       
 
 
 

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