みやざきの神話と伝承101ロゴ 51 矢研の滝と尾鈴山
 
 
 
       
  ●神武天皇ゆかりの地
 都農町の名貫川上流には多くの支流があり、それらが尾鈴山中で大小30余の瀑(ばく)布群を形成している。かつて「九重頭」(くえんと)と呼ばれた現在の尾鈴キャンプ場を右手に登ると、滝音が聞こえてくる。矢研(やとぎ)の滝である。
 日向国から東征し、大和朝廷を聞いたとされる神武天皇が、東方へ向かう途中、この滝で矢を研いだ、という言い伝えから、この名で呼ぶようになったと言われる。
 滝から200メートルほど登ると、谷川の中に長さ12メートル、高さと幅4メートルほどで舟の形をした大岩がある。神武天皇の曾祖父ニニギノミコトが、天上世界の高天原から降りてきた岩舟だと伝えられている。
 このほか、神武天皇にまつわる話が多く残っている。天皇が矢研の滝から東へ下り、野原を進んでいると鋭いとげに衣のすそが掛かって破れてしまった。衣を脱いで繕うところがなかったので、立ったまま縫ってもらった。以後、「立縫の里」と呼ばれるようになった。後にこれを縮め、「立野」と言うようになったともいう。船旅の無事祈願をした都農神社や尾立山の荒崎の南斜面には、天皇が腰掛けたことに由来する「腰掛石」もある。
 古代から「馬ならば日向の駒」と日向産の馬は高く評価されていた。「延喜式」兵部省の朝廷直轄の官牧である「都濃野馬牧」は、都農町・岩山牧の前身といわれる。
 高鍋藩が慶長14(1609)年に設けた「野別府岩山の牧」は、安政6(1859)年7月の廃止まで約250年続いた。この牧では多くの名馬が生まれたという。
 高鍋藩では秋に、「駒(こま)追い」という催しをやっていた。藩主が見物する中、放牧場の検査を兼ねて満1歳の子馬を捕まえるのである。
 あるとき、雪のように白い馬が1頭交じっていた。この馬は捕らえられず、山中深く分け入って神様の馬となった。山の神は白馬に乗って都農の村里や浜辺の上を駆けた。神が大空を駆けるとき、明月のようにはっきり仰ぎ眺められたという。
 馬がいななけば鈴がシャンシャンと鳴り、鈴が鳴れば馬がいなないて鈴の音が遠くの村里まで響き渡った。馬の首には黄金色の鈴が輝いていた。このように山上はるか鈴の音が響くことから、この神様を「御鈴様」、または「尾鈴様」、その山を「御鈴山」、後に「尾鈴山」と呼ぶようになったと伝えられる。
後藤徹一
 





矢研の滝の写真
矢研の滝。
秀麗な瀑布群の中でも特に美しい

       
 
 
 

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