みやざきの神話と伝承101ロゴ 60 百済王と田野天建神社
 
 
 
       
  ●井戸に落ち亡くなる
 海上をあてもなく漂流したい百済の王は、日向国油の津(日南市)に船を着けた。
 「ここは、どこか」と問うた。そして四方を眺めていると、北の方のはるかかなたの山の上に、五色の雲の一群が立ち昇っているのを見た。
 「あれが、私が住むところだ」
 そう言った百済の王は、小姓1人を供として、雲を目印に山中深く分け入った。
 険しい山が続き、小姓が疲れ果てた様子なので哀れに思って、どこか休む所はないかと、辺りを見回すと、清水がわき出ている。この清水を、むすびの上に振り掛けて口に含むと、甘露の味がして、たちまち供の小姓も元気になった。その後、この坂を小姓坂と呼び、清水は今もわき出ている。
 それから北川内(北郷町)に行き、ここで一夜を過ごした。この村を宿野(しゅくの)と呼ぶようになった。宿野からさらに深山を分け上り、5色の雲の下に到着した。そこには岩屋があり、ここでしばらく休息した。
 すると、山に分け入って道に迷い、さまよっている田野村の男8人に出会った。男たちは百済王の姿を見掛けたので、これは不思議な人に出会ったと思いながら、王の機嫌をうかがう。しかし、言葉は通ぜず、王は不快な表情で黙念としている。
 男たちは、手にしたカズラを振りながら、手足もおぼつかない身ぶりで「しゃくり舞」をしばらく舞っていると、王の機嫌も良くなった。それから男たちは供を申し出て、田野村に至り、王のために宮居を建てた。田野大宮に伝わる「しゃくり舞」は、このときの舞である。
 王が百済で飼っていたツルが王の後を慕って飛んできた。王の宮居を守護するように離れない。日本では例をみない不思議なことで、その姿も美しく見える。田野を去ることもなく、年を経て頭が赤く丹頂のツルとなり、人々も心打たれた。
 王は月毛の馬が好きで、馬で四方を巡ったが、あるとき、馬もろともに「井の本(井戸)」に落ちて亡くなった。このことから田野では、月毛の馬を飼わず、井戸を掘ることをしなくなった。
 亡くなった王を田野大明神として社殿を設けて祭り、供をした8人の筋目の者がそれぞれの姓を名乗り、祭礼のときに勤めをするようになった。「山浦八人の弁察」とはこのことである。この神は伊東氏の崇敬が厚かった。
永井哲雄
 






田野天建神社の写真
田野天建神社。
百済王伝説が残る

       
 
 
 

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