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| ●??異人?′サれ業病治癒 和泉式部の歌にこんな一首がある。 黒髪の乱れも知らずうち臥せば まづかきやりし人ぞ恋しき(和泉式部集) 式部は平安中期を代表する妖艶(ようえん)にして情熱の歌調で知られる。これまた有名な歌人小式部内侍を生んだが、人生の遍歴多く、晩年の行動は不明である。ここに、諸国祈願の旅は派生するのであろう。 業病(かさぶた)を患った式部は京都清水観音のお告げで、越後米山薬師、三河鳳来寺薬師に巡拝祈願したが、効を得ることはできなかった。そこで最後の望みを託し、日向の法華嶽薬師にこもり、平癒祈願の行を積んだ。 これが国富町深年の薬師寺であり、旧称を真金山法華岳寺と言った。古くから薬師信仰の本拠地として知られ、日本三大薬師と称されてきた。式部はこもること3年、寺下の渓谷に下りて水行を重ね、睡眠時には背を柱に持たせるという厳しい苦行を続けたという。「式部谷」の文字を岩壁に刻んだ谷つぼが名残をとどめ、「式部髪懸け柱」も伝承を物語る。 それでも薬師の加護はなかった。応験を得ることもかなわず、式部は捨て身にあたって辞世の歌を詠む。 南無薬師諸病悉除(しつじょ)の願立てて 身より仏の名こそ惜しけれ 合掌瞑目(めいもく)して投身に及ぶと、1人の異人が心眼に現れ、式部は一首の歌を聞いた。 村雨は只ひと時のものぞかし 己が蓑笠そこにぬぎおけ このとき、業病は治癒、式部は以前の美ぼうに戻ったという。異人とは薬師如来の化身で、式部の本願をかなえた効験の偉大であることを物語化している。ちなみに「身投げが嶽」もある。 ところで、他の同類の利生譚(たん)が小野小町を主人公としているのに、式部としているのは法華嶽のみのようで、一層心に残る。西都市鹿野田にも式部の墓碑がある。 有名なのは京都・新京極の誓願寺で、南接する華岳山誠心院は俗に和泉式部寺という。ここには正和2(1313)年の銘と発願10余人の尼僧の名を刻んだ式部塔がある。「醒睡笑」(元和9年)には、法華嶽の伝承と同類の歌を収め、これを著した安楽庵策傅こそ、実は誓願寺の住職である。式部の亡霊が時宗開祖の一遍上人を救った話も伝えられ、往時の人々は式部の歌を用いて布教に歩いた。 山口保明
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