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| ●最澄が三尊仏を安置 国富町本庄に万福寺がある。寛喜4(1232)年の墨書銘のある国指定重要文化財である木造阿弥陀如来及両脇侍像を安置している。 同寺は天台宗総本山・延暦寺の直接の末寺とされ、本庄の歴史の古さを語る寺ともなっている。寺の山号を犬熊山(けんゆうざん)という。 寺のすぐ近くに三弓堂があり、ここにも県指定文化財の木造薬師如来像と木造聖観音像が安置されている。 万福寺には享保3(1718)年に彫刻された木版「日向国諸県郡南本庄犬熊山縁起」が保存されており、土地の伝説を記している。 昔、ヒコホホデミノミコト(別名・ホオリノミコト=山幸)が狩りでこの地まで来た。険しい山坂を獲物を追いかけてきたので、休息して昼食を取ろうと思って腰をおろした。 ところが、疲れが出てついうとうとし、うたた寝をしてしまった。すると、ミコトが連れていた犬が急に激しくほえ始めた。ミコトがいくらなだめても、犬はかみつくように激しくほえ立て、静まる様子はなかった。ミコトはついに腹を立て、弓矢で犬を射殺してしまった。 しかし、ミコトの背後には大きな1頭の熊がいて、今にも襲いかかろうとしていた。ミコトは急いで二の矢をつがえ、熊を射ち、危うく難を逃れることができた。 ミコトはこのときになって、犬が狂ったようにほえ立てたのは、背後に迫った熊のことを知らせようとしたのであったことに気付いた。自分に危険を知らせようとしたのに、かえって自分に殺されてしまった犬のことを思うと、ミコトはいたたまれなくなってしまった。 そして手に持っていた弓を3つに折り捨て、犬と熊の遺がいと一緒にこの地に弔ったので、ここを犬熊山と呼ぶようになった。後に堂が建てられ、これを三弓堂と呼んでいる。 8世紀のころ、諸国をまわって仏教を広め、人々に菩薩と呼ばれた行基がここを訪れた。そのとき、犬熊山の由来を聞き、阿弥陀如来像を刻んで本尊とし、お堂に安置したのが後に万福寺になったともいう。 また、9世紀の初め、唐に渡る途中の伝教大師(最澄)が、宇佐八幡宮の分神が日向にあることを知ってこの地を訪ねた。そのとき、山幸の犬の話を聞いて哀れに思い、三尊仏を刻んで安置したとする伝説もある。 栖本章
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