みやざきの神話と伝承101ロゴ 67 山中霊地・川中神社
 
 
 
       
  ●神仏習合の姿伝える
 川中神社は、綾町南俣中尾に鎮座。綾南川沿いに15キロ登った川中嶽にあり、種々の物語を伝えている。
 廃仏棄釈以前は、金峯山西光寺があり、「三国名勝図会」によると、養老元(717)年の開基で、初め天台宗であったが、後に陵光寺3世丹翁和尚が再興、曹洞宗としたとある。一方、川中神社はオオヤマツミノミコトを主祭神に、伊東三位入道義祐が勧請・創建したと言われる。
 廃仏棄釈のとき、信者によって難を逃れたという阿弥陀如来座像は、境内の阿弥陀堂に祭られ、川中神社宮司が奉仕、神仏習合の姿を伝えている。本尊の阿弥陀像と同じ山茶樹(つばき)で彫られ、行基菩薩の手になるという。
 西光寺の開基にまつわる説話は興味深い。綾山中を狩り場とする明久、長喜という猟師仲間がいた。2人が出猟、釈迦嶽(標高831メートル)に野宿していたとき、夢の中で一聖僧のお告げを得た。
 「おまえたちの殺生は、その数千頭に達しようとしている。その罪深い殺生をやめ、仏門に入り、西の山に阿弥陀さまを、東の山に薬師さまを安置せよ、そうすれば罪業を免れるであろう」。2人は仏道に帰依し、明久は川中嶽に阿弥陀、長喜は法華岳に薬師を祭り、開山したという。彼ら狩人は、山の神を祭る、おそらく原始的な宗教保持者であり、狩人開創譚は全国にも数多く見られる。
 〈川中さま〉は社寺を備え、社僧も活躍したのであろう。今も猟師の信仰は厚い。捕獲したイノシシの頭がい骨に神酒を添えて、奉納する習俗を残している。同じく草履やわらじを奉納、大草履をはいて堂の回廊を3周すると、健脚となり、難病除(よ)けになるという。
 これにも付説がある。「カッパの嫁入り譚」である。綾川水系のカッパが美人に化けて村の好青年と結婚。水かき隠しの足袋のことから、その正体が知られる。やがて月が満ちて元気な赤ん坊を出産、青年がこよなく愛した嫁は去った。赤ん坊は順調に育ち、友達と遊ぶ年齢となったが、アカギレが治らない。ある夜、母親が現れ、「川中さまに草履をお供えし、それを子供にはかせて」と伝えた。
 このことがかさぶた除けの神、難病除けの神と多くの信仰を集める同社の由来である。川中神社の縁日は2月20日以降の土、日、境内に植えられた白梅のにおうころである。神仏混交の姿を伝える祭りである。
山口保明
 






川中神社例大祭の写真
川中神社例大祭。
阿弥陀仏に神楽を奉納する

       
 
 
 

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