みやざきの神話と伝承101ロゴ 71 白鳥神社とヤマトタケル
 
 
 
       
  ●「熊襲討伐」に因縁か
 えびの市正原、白鳥山の中腹に、ヤマトタケルノミコトを祭る白鳥神社がある。江戸時代、この近くの山中から、現東大寺大仏殿に用いられている大梁(おおはり)の材2本が仏のお告げで見いだされ、空前の人々によって大和(奈良県)に運ばれた。ここはそうした霊験の地である。
 その昔、霧島山中の霊くつを巡って修行していた性空上人が、山中の六観音池のほとりに座し、法華経を読んでいると、こつ然と翁(おきな)が現れ、上人に告げた。
 「私はヤマトタケルである。白鳥となって、この山中に住むようになって、とき久しい。上人の読経、苦しい修行の徳に感応して、ここに身を現した」
 上人は、この因縁で神社を創建し、白鳥権現を祭った。また聖観音を本尊として、白鳥山満足寺(廃寺)を造営、ヤマトタケルの霊魂を守る社殿としたという。
 ヤマトタケルの霊魂が白鳥となったということは、日本書紀景行天皇條にみえる。
 天皇に服従しない東国の者を征伐した後、ヤマトタケルは近江国(滋賀県)の膽吹(いぶき)山で、大蛇に化けた山の神の毒にあたった。やっとの思いで伊勢国能褒野(のぼの・三重県)に至ったが、ここで亡くなった。30歳であった。
 景行天皇は、これを聞き、「今より以後、誰とともに鴻業(あまつひつぎ)を經綸(おさ)めむ」と昼夜しのび泣き、伊勢国能褒野陵に葬った。そのとき、ヤマトタケルは白鳥となって陵から大和国を指して飛び去った。群臣たちが、ひつぎを開いてみると、中には衣服だけが残っていて遺骨はなかった。
 白鳥の行方を追うと、大和国の琴弾原(ことひきはる)に止まっていたので、そこに陵を造った。白鳥はさらに河内国・旧市邑(ふるいちむら)に飛んだ。ここにも陵を造った。当時の人はこの3つの陵を白鳥陵と呼んだ。しかし、その後白鳥は高く飛んで天に昇ったという。
 ヤマトタケルの化身・白鳥が、えびのに飛んできたというのは、景行天皇とタケルが日向に下って熊襲(くまそ)を討ったということに因縁を持つものであろう。
 白鳥神社の近郷では、白鳥を殺すことは厳しく禁じられている。また同神社は古くからヤマトタケルに因(ちな)んで軍神としてあがめられ、戦国時代に領主島津氏は軍を興すたびに、おみくじを引き、勝利を誓願した。数多くの献納品がそれを物語る。
永井哲雄
 





白鳥神社の龍の彫り物の写真
白鳥神社の龍の彫り物。
歴史の重みが漂う

       
 
 
 

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