みやざきの神話と伝承101ロゴ 75 狭野と皇子原
 
 
 
       
  ●神武天皇生誕の地か
 高原町の狭野神社は、神武天皇を主祭神とした古社である。参道に立つ大杉は、400年の樹齢を重ね、大正13(1924)年、国の天然記念物に指定された。
 秀吉が朝鮮半島に出兵を命じた文禄元(1592)年、島津義弘は1万5千の軍勢を率いて出陣、出発に当たって、狭野神社に戦勝を祈願した。義弘は慶長2(1597)年にも再び出兵した。
 帰陣の後、慶長5(1600)年に、家臣の新納忠元を狭野神社に遣わし、杉を植えて奉納し帰国を感謝した。今に残る参道の大杉は、その杉であるという。
 義弘は、神武天皇の東遷の門出にあやかって、出陣の祈願をしたのであろう。
 「日本書紀」1書は、神武天皇の幼名は「狭野尊(サノノミコト)」と呼ばれたとする。狭野は生誕の土地の名で、その跡に狭野神社が創建されたと伝えられている。
 社殿から南方1キロほどの高千穂峰の山麓に皇子原がある。本来ここに社殿があったが、第30代敏達(びたつ)天皇の時(6世紀中ごろ)、狭野に移したという。
 延暦7(788)年の霧島山の噴火で、社殿は火災に遭い、さらに文暦元(1234)年の噴火でも焼失した。天文12(1543)年には、高原町の西麓に仮殿が設けられていたと言われる。その後、慶長5(1600)年に、島津義弘が杉を植栽したというから、その時期には現在地に社殿が再建されていたのであろう。
 「霧島山佛華林寺狭野世譜」という、御池を一望する高台にある霧島東神社古来の記録に、その由緒が書かれている。難解である。
 狭野を神武生誕の地とすると、神武はここから宮崎に移り、皇居屋(こぐや)にいて日向を統治、美々津から東遷したことになる。
 古事記・日本書紀に描かれる神武の姿は、伝説的なベールに覆われている。
 また神武は天の神、地の神、海の神の血統の統合として現れる。つまり、天孫ニニギが地に降りて、コノハナサクヤを妃(きさき)としてホオリが生まれる。そのホオリと海神国の娘トヨタマが結婚してウカヤフキアエズ、さらにウカヤフキアエズとトヨタマの妹タマヨリの間に神武が生まれる。神武の出自は必然的に国土統一の天皇となる役割を担っている。
 初代天皇の発祥の地を日向としていることには、謎が多い。
甲斐亮典
 






狭野神社の写真
狭野神社。
古い歴史が息づく

       
 
 
 

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