みやざきの神話と伝承101ロゴ 76 御池と性空上人
 
 
 
       
  ●神龍現れ宝珠献じる
 霧島山中には、性空上人の足跡が至るところに残されている。霧島東神社は、高千穂峰への中腹標高500メートルの高台に鎮座。眼下に霧島山中で最大の火口湖・御池を一望できる。高千穂峰を湖面に映す景観は、初夏の新緑、晩秋の紅葉がことさらに美しい。
 性空上人は「法華経」の熱烈な持経者であった。法系も不明だが、天元3(980)年、叡山根本中堂供養に増賀上人とともに列席しているので、おそらく良源の門跡に連なっていたのであろう。「今昔物語」によれば、性空は10歳で仏門に入り、27歳で道を悟り、その後父を亡くし、母とともに日向国へ下ったとある。母の生国が日向国であったとも伝えている。
 「大日本国法華経験記」が性空上人の修行の様子を伝えている。人跡途絶えた深山幽谷に住み、暮らしぶりは日々の糧を求めることもなく、ひたすらに行を積む。すると、経巻から目にも鮮やかな米粒がこぼれ出てくる。夢想が現実となって、眼前に食ぜんが並んだり、あるいは厳寒の夜中、体も冷えきり読経に打ち込んでいると、草庵の上から綿入れが垂れてきて、すっぽり身を包んでくれる。
 こういった不可思議なことは、性空上人が断固として超俗を貫き、分け隔てなく住民と交わったいきさつを伝えていよう。
 性空上人の霧島山中修行はわずか4、5年、20歳後半から30歳にかけてのことで、天慶年間(938−947)から天暦年間(948−957)の初めであったという。霧島山を天台の山として、観音霊山の骨格をつくりあげたのであった。
 御池キャンプ場から南に約200メートル、頭上10メートルの絶壁の洞穴に性空上人の石像が安置されている。ここは性空が護摩供養をしたところで「護摩壇港」の名がある。「三国名勝図会」によると、池のほとりで修行中に9頭の神龍が現れ、宝珠を献じたという。龍は千手観音大悲の姿を現した仏の化身であったと伝え、末世の衆生救済を誓願したという物語を伴っている。宝珠は銅器に入れて石箱に納め、護摩壇に安置したが、噴火によって失われた。
 護摩壇跡には灰が残り、今も鉄のように固い。これを砕いて持ち帰り、五穀の実りを祈願した。霧島山の壮観は廃仏棄釈によって一変、上人像も御池に沈められたが、明治42(1909)年、地元の父子が引き上げ、再度祭られた。
山口保明
 






性空上人の石像の写真
性空上人の石像。
絶壁の洞穴から世の平和を見守る

       
 
 
 

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