みやざきの神話と伝承101ロゴ 85 大人弥五郎どん
 
 
 
       
  ●隼人族悲運の主人公
 南九州には多くの弥五郎説話がある。本県では「七股弥五郎」(川南町)、「木原弥五郎」(清武町)、「足跡弥五郎」(田野町)など。いずれも大人(おおひと・巨人)が登場する。
 山之口町富吉の円野神社では11月3日、「弥五郎どん祭」が行われる。大人弥五郎は身の丈3メートル余り。東岳を背に、眼前に霧島連山を仰ぐ池之尾社までの「浜殿下り」では朱面を付け、頭上に鉾(ほこ)をいただき、大小の太刀に梅染めの装束を着けた弥五郎が、子どもたちに守られながら威風堂々と歩く。神幸は2人使いの獅子(しし)、神職は大麻幣を持って先陣をつとめ、弥五郎どんの後にはマサカキをささげた神子、猿田彦、荷駄を引きながらの馬方、3基のみこし、稚児、一般の人々が続く。
 円野神社は旧称的野正八幡で三俣院の総鎮守。「山之口名勝志」によると、古くはもっと広い範囲を巡行した。
 「大人弥五郎」にあっては3兄弟説が伝えられている。長男が圓野弥五郎、二男・岩川弥五郎(岩川八幡・鹿児島県大隅町)、三男・田ノ上弥五郎(日南市)である。いずれも八幡系統の神社だけに伝わるところをみると、八幡信仰の地方的展開として注目される。
 八幡神は豊前国(大分県北部)の宇佐氏の氏神とされ、応神天皇がこの世に示現した姿と伝える(「扶桑略記」)。託宣を下す神と仰がれ、仏教の守護神、戦いの神としてあがめられた。
 さて、朝廷の支配に抵抗、初代大隅国司を殺害されたのを憤り、大伴旅人を将軍として南九州の部族を鎮圧したのが、養老4(720)年の「隼人の乱」である。隼人族の最後の首長こそ「弥五郎どん」であった。この乱には八幡神を押し立て、宇佐の僧・法蓮も鎮定に従ったという。
 八幡神は合戦の間に多くの殺生をしたので、放生会(ほうじょうえ)を営むよう託宣したと伝える。ちなみに、隼人の霊がニナとなって農作物を荒らしたといい、放生会にニナを放つようになったともいう。「弥五郎どん祭」では、隼人族の首長自らが巡行し、御霊鎮めを行い、悲運の主人公となっている。
 さらに弥五郎信仰は、ホゼ(収穫祭)と結びつき、稲作地帯の庶民の祭りとして定着した。やがて民間行事の虫供養や厄払い、子育てまでの機能を負わされる。「大人弥五郎」には、先祖思慕のはるかな思いがこめられているのである。
山口保明
 






大人弥五郎どんの浜下りの写真
大人弥五郎どんの浜殿下り。
今も地区の人たちに愛されている

       
 
 
 

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