みやざきの神話と伝承101ロゴ 92 吾平山上陵
 
 
 
       
  ●金環や太刀など発掘
 ウガヤフキアエズノミコトはその姨(おば)タマヨリヒメが妃(きさき)で、その間に五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神武天皇が生まれた。
 ミコトの陵は、「西洲(にしのくに)の宮に崩(かむあが)りましぬ。よりて日向の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)に葬りまつる」(日本書紀)とあり、10世紀の延喜式には、それは「日向国に在って、陵戸(陵を世襲で守る人)はない」とある。
 明治7年、政府は鹿児島県吾平町にその陵を定めたが、県内だけでも、日南市・鵜戸山をはじめ高千穂や佐土原町、西都市などにも伝説地があり、反論があった。その反論に抗しきれず、明治29年6月23日、政府は日南市・鵜戸神宮背後の速日峯山上を「御陵墓伝説地吾平山上陵」と定めた。
 また日南市の油津は、古くは「吾平津」と呼んでいて、のちに「油」となまったという説があり、吾平山上陵というのは油津山上のことではないかとも言われる。文久3(1863)年、ここに飫肥藩が砲台を築こうとしたところ、土地が隆起してほこらがあったのでは、と思われる大石で囲った2ヵ所の廓室から銅、鏡、金環、玉、太刀などが発掘され、藩庁が立ち入りを禁止したこともあった。
 こうしたことから、鵜戸山の吾平山は、「吾平津」(油津)までを指すのではないかという伝説もあった。さらに吾平津神社(乙姫大明神)との関係も強調された。
 またミコトに関連して、トヨタマヒメやタマヨリヒメの伝承もこの周辺には多い。
 その昔、トヨタマヒメは竜宮から海亀に乗ってきて、同市風田の川上神社にとどまった。そこで同神社にヒメを祭り、風田地区では、昔から海亀を捕ることをしない。よそから人が来て亀を捕れば、それをいさめて亀を助け、海に返したという。
 鵜戸山の北側の宮浦神社はタマヨリヒメを祭っており、玉依姫の住居跡という。古くから安産祈願のため、参詣者が多く、特に毎月の牛の日がにぎわった。
 集落の田の中にある岡陵がヒメの陵だという。ここに育つ草を牛馬に食べさせるとたちまち腹痛を起こした。また、ある人が、この陵を切り開いてそば打ち場にしたところ、たちまち足が痛み始めた。子や兄弟も同じように苦しんだ。これは、神の心によるものであろうと恐れられ、だれも近づかなかった。
永井哲雄
 






吾平山御陵墓伝説地の写真
吾平山御陵墓伝説地。
今も神霊の気配が濃い

       
 
 
 

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