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●トヨタマヒメの産屋 日南市・鵜戸神宮に次のような「御由緒」が伝わる。 日向国吹井(ふけい)の浦に「鵜戸の窟(いわや)」と呼ばれる竜穴がある。ここには地神5代の神々と神武天皇の6神が祭られ、「鵜戸六所権現」、また「鵜戸大権現」とも称されていた。 その昔、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)は、兄・海幸彦から借りた釣り針をなくした。それを捜しに出掛けたワタツミノミヤ(海宮)でトヨタマヒメと出会い、結婚。ヒメは鵜戸の窟で出産することになり、急いで鵜(う)の羽の産屋がつくられた。 ヒメはミコトに告げた。「私のお産の後、100日を過ぎるまでは、私も御子も決してのぞいて見てはいけません」 しかし、ミコトはその100日が長く、待てなかった。見てはいけないと言われればなおさらである。ついに99日目に葺萱(ふきかや)の戸の間から、一割(ひとわれ)のたいまつをともして、産屋の中をのぞいてしまった。 ミコトがそこに見たのは、ヒメの姿ではなかった。海宮では言葉で表せないほど美しいヒメが、今は16丈(約48メートル)ほどの大蛇となり、8尋(約12メートル)のワニの上に乗り、御子に乳を与えている姿であった。 ミコトは大変驚き、恐ろしくなった。一方、ヒメは自分の本当の姿をミコトに見られたことを恥ずかしく思い、海宮に婦ることにした。ミコトが言葉をつくして引き留めようとしたが、それもかなわなかった。 ヒメは御子のために左の乳房を引きちぎり、窟の腹に打ちつけて帰っていった。今も残る「乳房石(おちちいわ)」がこれ。そして海宮への扉も閉じてしまい、海宮へ行くことはできなくなった。 ヒメが自分の蛇身の姿を見られた恥ずかしい思いの炎と、わが御子への恋しいあこがれの炎、そしてミコトに愛別された情炎、この3つの炎は今も絶えることなく燃え上がっている。霧島山の御神火がそうだと伝えられる。 その後、海宮からは海神の大郎女(おおいらつめ)のタマヨリヒメが遣わされ、御子の養育にあたった。この御子がヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコトである。地神第5の神で、人皇第1代の天皇である神武天皇の父神にあたる。 その後、吹井の村では、年末に一割のたいまつをともすことは避けるようになったという。 永井哲雄
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