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●異色の筋書き楽しく |
奴(やっこ)と嫁女と、坊主の3人を1組にした異色の踊りである。
奴と嫁女が仲良く踊りを楽しんでいるところに、坊主がねたんで木刀を振り上げ、割り込んでくるという筋書き。
踊り手の衣装は、奴が浴衣に手甲を着けて鉢巻き姿。嫁女は浴衣に白の姉さんかぶり。坊主は黒の頭巾(ずきん)をかぶり、顔にひげを付けた姿だ。手にするのは奴が剣、嫁女は長刀、坊主は木刀。
前半は和やかな踊りであるが後半、奴と嫁女の列の間に坊主が割り込んでくるあたりから、激しい踊りになる。
踊り手は、奴、嫁女、坊主の3人1組にした5組、総数15人である。うたい手は1人、太鼓1人、拍子木1人である。踊りは1番から13番まであり、演技は30分かかる。
唄(うた)は、1番「さんしょ山」から、2番「千本桜」、3番「忠臣蔵」と13番まで続き、歌詞も変化に富んでいる。
さんしょ山から吹き来る風は
アー ソラトンチチトンチチ ヨイヤサノトントン
すそやたもとにそーよそよと さんしょのせー
ソラトンチチトンチチ ヨイヤサノトントンと調子よく始まる。
2番の「千本桜」は、歌舞伎の義経千本桜のこと、以下3番の「忠臣蔵」、4番「じゅんがら」、5番「あくしょ通い」などと、歌舞伎やはやり唄を織り込んだ上方風の歌詞が13番まで続く。
踊りの起源は、明治の中ごろに町内の宮之首の人々が、上日置(うわべき)の人から習い覚えたと伝えられる。
その後中断していたが、昭和8年に吉岡喜通という人が復活させた。
しかし、そのときは伝承者がおらず、隣の鬼付目(きづくめ)地区から習ったといわれる。
昭和30年代にも一度中断したが、40年代に入って宮之首、平伊倉、矢床、奥などの地区青年たちが復活させ、以来保存に努めている。
歌詞などの特徴から見て、江戸時代後半の時期にどこかで作られ、伝承されたのではないかと思われる。
踊りの途中で見物人(女性)も坊主に担ぎ込まれる。見る人も参加して楽しむ踊りである。
何度も復活して今日に至っているのは、そのためであろう。
甲 斐 亮 典
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踊りは旧暦8月15日、町内宮之首の厳島神社の祭りで、五穀豊穣と安全息災を祈って奉納される。その後、町内を巡回して披露する。昭和44年の全国青年大会に県代表として出場し、第2位に入賞した。保存会は衣装や道具を新調して保存に努めている。問い合わせは新富町教委へ。 |
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五穀豊穣を祈り、 奴と嫁女と坊主が踊りを繰り広げる
(水沼神社)
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