みやざきのうたと芸能101ロゴ 大人歌舞伎

 
●哀調染み入る義太夫語り
 おぼこ娘の一筋に 思いみだるる糸すすき ほにあらわれてみえにける(「神霊矢口渡」第4段)
 義太夫語りの声が哀調を帯びる。落ち武者義峯に一夜の宿を請われ、その美ぼうに魅せられたお舟の悲劇の始まり。
 「いいぞ、日本一!」桟敷から声が飛び、花(ひねり)が舞台に投げられる。その花を見る役者のしぐさも名演技のうち。役者・観客一体となり、座が盛り上がる。
 こうした上方歌舞伎の伝統をしっかり伝えるのが保存会である。師匠の山室良一(県文化賞受賞者)や、名優甲斐春男を亡くしたものの後継者は万全。ふるさと教育の活動の一つとして大人文化財愛護少年団も加わっている。
 現在上演できる外題は、「絵本太功記」「義経千本桜」「一の谷嫩(ふたば)軍記」など。中でも「源平布引の滝」などは、他所で上演されることも少なく貴重である。また、これらに「瞼(まぶた)の母」や「父帰る」といった新しい外題も加わり、注目されてきた。
 大人歌舞伎は天明年間(1781〜89年)に定着したと伝えられている。1849(嘉永2)年の引幕も残され、上方歌舞伎が全国に流布するのと軌を一にしている。昭和30年代以前は「大人地芝居」といい、対岸集落の「宮水人形」とともに近隣の人々の楽しみであったが、人形芝居の方はその後上演されていない。
 舞台はその年によって上演の外題が異なる。開演に先立つ祝儀の舞いとして「寿式三番叟(さんばそう)」が必ず上演される。日之影町には歌舞伎が縁で、平成5年「歌舞伎の館」が完成、ここで公開されている。定期公演は10月9日。集落の鎮守大人神社で式典を営み、神楽3番を奉納、普通には夜間にかけて上演、村芝居の伝統を引き継ぐ。
 多くの名優をはぐくんだ「佐土原座」をはじめ、地域の地芝居が消えていくなかで、大人歌舞伎はなぜに滅びなかったのか。それは1595(文禄4)年のこと、岩井川中崎城主甲斐宗摂(そうせつ)が延岡領主高橋元種に攻められ、自刃して果てた。彼は領内の開拓や用水路を開削するなど善政をしき、領民に慕われていた。
 宗摂の供養のため、命日とされている9月9日に念仏踊りやばんば踊りを奉納していたと伝えるが、いつしか彼の好んだ歌舞伎を奉納するようになった。慰霊の芸能だからである。
山 口 保 明
メモ
 歌舞伎は目で見て、肌で感じ取る芸能である。様式美を重んずるので、隈(くま)どりや衣装によって役柄がわかる。芸態でも六方や立ち回りなど見どころは多い。問い合わせは日之影町教委か、大人歌舞伎保存会へ。大人神社の例大祭に奉納している。





大人歌舞伎の写真
「神霊矢口渡」
(頓兵衛館の段)


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