みやざきのうたと芸能101ロゴ 佐賀利いろは口説踊

 
●名僧古月禅師の遺訓
 「いろは口説(くどき)」は本県を代表する盆踊り口説きの一つだ。
 花飾り付きの編みがさをかぶり、右手に扇子を持って、太鼓や唄(うた)に合わせて踊る。
 広場に設けた櫓(やぐら)太鼓を中心に大きな輪を作り、集落の保存会と地域の人々が一緒になって踊る。
 唄は呼称の通り、いろはの順に七・七調で処世訓が歌い込まれている。「国は日向の佐土原城下 少し下がりて佐賀利の村に 古月禅師という上人が お説きなされしいろはの口説」という前唄で始まる。
 い いとけなきをば愛して通せ
 ろ 老を敬い無礼をするな
 は 腹がたっても過言はいうな
 に 悪しみ受くるも我が心から
 ほ 誉めて貰えど高慢するな
 へ 隔て無きをば遠慮に思え
 と 隣近所に不通をするな   (以下略)
 竹を3本組み合わせた台に太鼓を結びつけて若者がばちを構え、音頭取りが唐かさを広げると準備が整う。
 踊りは「ヤットコセー」「サーヤットコ」「サートコセー」「四つ竹」「みやぎき」「たかなべ」の5段からなる。
 「ヤットコセー」はもともとはやしだが、振りがやさしく、誰でもすぐに覚えられる。
 「4つ竹」は幅5センチ、長さ10センテほどの竹板を2枚ずつ両手に持ち、かちかちと鳴らしながら踊る。太鼓のリズムが速くなると次の踊りになる。
 「たかなべ」はテンポが速く、最も躍動的で若者だけの集団になる。高齢者はここで一息入れる。変化に富んだ流れを見せる盆踊りである。
 「いろは口説」の歌詞の作者古月は、1667(寛文7)年に佐賀利に生まれた。利発な子供で名刹大光寺の末寺、松巌寺の住職・一道に認められて出家。後に京都に上り智勝院で修行を積んだが、高徳の師を求めて回国し、やがて江戸中期には禅宗の高僧として「東の白隠、西の古月」と称されるようになった。
 古月の説教のある日は寺院の内外に人が溢れ、彼が歩いた足跡の砂をおしいただいて持ち帰る人々も多かったという。
 当時、盆踊り唄に卑猥(ひわい)な歌詞が多かったので、古月はこれを憂え、大人も子供も喜んで唄えるような歌詞を作った。それが「いろは口説」といわれている。
甲 斐 亮 典
メモ
 大光寺は1335(建武2)年の創建で、全国的に知られた禅宗の古寺である。古月は1704(宝永元)年、時の藩主・島津惟久に請われて、この寺の第42世住職となった。踊りは7月下旬の愛宕神社の夏祭り、8月13日の佐賀利地区、同14日地区の新盆の家、同24日の古月誕生祭などに踊られる。詳しくは佐土原町教委へ。





佐賀利いろは口説踊の写真
編みがさに花飾り、
扇子を手に小気味よく踊る
(みやざき民俗芸能まつり)


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