みやざきのうたと芸能101ロゴ 三田井浅ヶ部神楽

 
●民家を巡目して奉納
 いにしえの天の岩戸の神かぐら 面白かりし末はめでたし
 これは高千穂神楽の性格をよく表した神楽歌で、町の東部には天岩戸神社もある。岩戸開き(太陽復活・招春祈願)を主題とする神楽であることを如実に物語っている。神楽は「面白く」「めでたく」舞い納めるものであり、神楽名人として知られた浅ケ部集落の故・田崎伊熊は「ありがてぇーもんじゃきの」と語っていた。
 高千穂神楽の成立はいつだったのか。1189(文治5)年3月の奥書をもつ「十社大明神記」(高千穂神社蔵)に、四皇子峰・觸(くしふる)山において「七日七夜の御じんらく(神楽)」とある。約800余年前の記録で、これが三田井神楽の原型とされよう。どのような神楽であったのかつまびらかでないが、在地信仰を取り込んだ、より修験色の濃いものだったと思われる。
 遠く平安の時代に熊野信仰の影響を強く受け、成立したようで、十社大明神(高千穂神社)が熊野本宮(和歌山県)と深いかかわりがあったことでもうかがえる。
 1691(元禄4)年の「高千穂庄神社仏閣神体仏像改控」(佐藤家文書)によれば、旧高千穂郷の熊野各社では、ほとんど神楽を奉納している。三都(江戸・京都・大坂)に元禄文化がらん熟の時を迎えたころ、高千穂郷では社家による神楽文化が隆盛を極めていた。
 高千穂町域の夜神楽は戦前に比べ減少し、20集落ほどで継承されている。いずれも33番の編成だが、文化庁への指定申請の基調をなしたのが「三田井浅ヶ部神楽」である。旧暦11月11日から翌12日にかけ、民家を神楽宿と定め、巡回する形で奉納される。ちなみに高千穂町域の神楽は11月半ばから翌年2月半ばまで。主に土曜・日曜日をあて、集落の行事として行われている。
 神迎えから神楽宿までの舞い込みは、さながら神話の里の神々の行列である。集落共同体のハレの日で、ほしゃどん(奉仕者)も迎える人々も、自信と誇りに満ちている。
 「御神家」(盃事)に始まり、途中夜ながり(夜食)を挟んで、翌日午前9時ごろまで、浅ケ部の集落は「神々と遊ぶくに」となる。神楽に元気づけを行う「神楽せり」もまた冬まつりの伝統を今に伝え、集落芸能の世界を体験できる。
山 口 保 明
メモ
 夜神楽は集落守護の神々を勧請、神庭を祓い清め、集落の固めを行い、加護を願う。さらに予祝の舞を披露、同時に悪魔を祓い、岩戸5番のクライマックスを迎える。注目の番付は、障神祓いの「地固」、荒舞の「岩潜」、農神楽の「五穀」、曲技舞の「八鉢」、かまけわざの「御神体」、そして岩戸5番、神楽奉納成就感謝の「柴(しば)上げ」。問い合わせは高千穂町教委か、高干穂町コミュニティーセンターヘ。





三田井浅ヶ部神楽の写真
神人合一の一夜に感謝する
「御柴」
(柴上げ)


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