みやざきのうたと芸能101ロゴ 村所神楽

 
●山を開いた先人登場
 米良の山すそ静かに暮れて 宇佐の社に灯がともる(「神楽ばやし」)
 宇佐の社とは、鎮守村所八幡神社のこと。歴史上の人物、懐良(かねなが)親王、良宗親王、米良重為、米良重鑑(しげかね)を祀る。
 懐良親王は後醍醐天皇の皇子で南北朝時代、征西将軍として下向、米良山に居住したという。親王没後、1471(文明3)年に「大王之宮」を建て、鎮魂・供養のため神楽を奉納したのが米良一帯の神楽の始まりという。
 米良の領主重鑑は敬神の心厚く、宇佐に使者を送り八幡神を勧請(かんじょう)することに努めたが、大王之宮が「宇佐」を称したのは、重鑑亡き後のことである。
 これら歴史上の人物が立ち現れることで、番付の「大王様」は懐良親王、「じい様」は良宗親王とされ、「ばあ様」はその奥方、「七ツ面」は7人の孫たち。「住吉」の華麗な舞いを挟んで「八幡様」は米良重鑑。その面は西米良に没した修験僧大円の作で、威厳に満ちている。
「御手洗(みたらい)様」は重鑑の令室お勝の方。さらに山の守護神、オオヤマヅミノミコトが登場、やがて夜食となる。人々はこれら先人たちが米良山を開き、恵みをもたらしたことに感謝し、思いをはせる。ここまでが荘重な雰囲気を醸す「神かぐら」、夜食が終わると「民かぐら」に移る。
 初めの「神楽ばやし」は、「民かぐら」に入ってから許される。かつては神屋を中心に東西に分かれ、交互に上の句、下の句を掛け合い、または三方ばやしなどもあって神楽を盛りたてた。
 見どころは多い。俗に「蜂の巣つくじり」という「白海(びゃくかい)」は増殖儀礼の舞。「荒神」は神主との問答。最近復活した「狩面」は狩猟文書「西山小猟師(こりゅうし)」の作法を再現するなど興味深い。
 西米良村域にはこのほか、小川神楽(米良神社)、越野尾神楽(児原稲荷神社)、狭上(さえ)神楽(狭上稲荷神社)、隔年の奉納に竹原神楽(竹原天満宮)、上米良神楽(本山神社)、横野神楽(産土神社)などがあり、いずれも夜神楽として奉納される。
山 口 保 明
メモ
 見どころの一つは舞いぶり。2人舞では先導格を先路(せんじ)、もう1人を後路(ごんじ)と呼ぶ。舞いぶりも前段を「上路(かみんじ)の舞」後段を「下路(しもんじ)の舞」といい、変化をつける。「幣差(へいさし)」などに見られる動きは中国風または韓国風の芸態といわれ、静・動の足の運びに注目したい。問い合わせは西米良村教委か、同村歴史民俗資料館へ。





村所神楽の写真
夜が明けて、
勧請の神々を送る
(村所公民館前庭)


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