みやざきのうたと芸能101ロゴ 細野輪太鼓踊

 
●勇壮な隊列入れ替え
 川内川流域から大淀川流域にかけて分布する輪太鼓踊、大太鼓踊、3段打ち分け、城攻め踊、種子島踊などは同種の芸能が分化し、地域的な特徴を特つに至ったと考えられる。なかでも輪太鼓踊は際立った特色を持つ。
 小林地方は輪太鼓踊が盛んで、明治のころまでは各郷ごとにあったが、細野と東方の2地区が県指定の民俗文化財。「ワデコ」「豊年踊」とも称し、10月8日に地域の氏神社に奉納。
 踊りの由来は文禄・慶長の役のときの島津勢のがいせんの模様を舞踏化したとか、鹿児島藩が農民に武芸の訓練を施した擬装の名残ともいう。また、疫病が流行したので鎖めるため太鼓踊りをしたところ、効き目があったため藩内に勧めたのが起源ともいう。
 太鼓方18人、入り太鼓2人、鉦(かね)方6人の計26人編成。指揮役は鉦打ちの1人が当たり、太鼓方は1番太鼓から18番まで位置が定まり、入り太鼓は輪踊りの中央に場を占める。
 入り鉦・平鉦の衣装は、頭に黒漆塗りの陣がさ、着物は角帯を締めた着流し、ともに島津の家紋入り。入り太鼓は、四季の造花を飾ったすげがさに赤、紫、緑、あさぎの切り紙を飾り付けたものをかぶり、へこ帯のたすきがけに、黒の紋付きに青いふんどしを着ける。
 大太鼓は、頭に白い鉢巻き、衣装は縦じま模様の浴衣の着流し、手甲、脚半を着け、黒足袋、武者わらじを履き、背に神籬(ひもろぎ)としての矢幡(やばた)3本を負い、締め太鼓を胸に掛ける。太鼓方の背中の矢幡は、中矢幡1本とほろを2本組んだもので、中矢幡にはやり、ほろには刀を隠して、敵陣に乗り込んだと伝えられる。
 細野一区輪太鼓踊り保存会は1947(昭和22)年に結成。作家中村地平の著書「日向」でも取り上げられ、62(同37)年に最も早く県指定民俗文化財に選ばれた。小林市民祭(豊年祭り)や各種イベントに出演。先頭で機敏に動き回る入り太鼓、矢旗を背負い胸に抱えた太鼓をたたきながら勇壮に踊る太鼓方の複雑に入れ替わる隊列が見どころ。
渡 辺 一 弘
メモ
 踊りは17段に分かれる。(1)鉦流し(前奏)(2)門掛かり(城門を打ち破る踊り)(3)庭入り(内庭に入る)(4)引廻し(城の本拠に近づく)(5)真幸べ(本丸へ登り道を進む)(6)幕入り(本陣近くの幕に突入)(7)城攻め(一の丸を攻める)(8)山路(山道を登り行く)(9)打切り(10)唄(一時休憩)(11)田の神べ(12)祁答院べ(13)高取べ(高らかに打ち鳴らす)(14)城攻め(第2の本陣を攻めたてる)(15)馬攻め(馬で一気に攻め上がる)(16)切なし(何度も打ち鳴らす)(17)打切り(最後の勝利)。問い合わせは小林市教委へ。





細野輪太鼓踊の写真
隊列を組んで勇壮に踊る
細野輪太鼓踊


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