みやざきのうたと芸能101ロゴ 雨太鼓

 
●天地揺るがす躍動感
 直径約2メートルほどもある大太鼓を打ち鳴らす勇壮なばちさばきは、見ている者を躍動させる。
 明治時代の半ばころにひどい干ばつがあり、人々はひたすら雨が降るのを心待ちしていた。そのとき「大太鼓を打ち鳴らして、空に振動を与えれば、雨を呼ぶのではないか」ということになり、雨ごいに用いたのが雨太鼓の始まりという。
 紺の法被に股引き、ねじり鉢巻きをした男たちが、威勢良く大太鼓と鉦(かね)を打ち鳴らす。
 打つ形には「二つ星」「ぜぜん太鼓」「ガンガン」「四ツ星」「八ツ星」などがある。
 ドンドン・ド・ド・ド・ド・ドンドンと大太鼓が一斉に鳴るのは、すさまじい迫力である。
 1906(明治39)年の宮崎神宮大祭には、村内から40個の大太鼓と大小の鉦を引き連ねて参加したので、この芸能を一躍有名にした。
 このころ、各集落が競って大太鼓を作っており、壮観さがしのばれる。
 雨ごいになると、村中の太鼓と鉦が打ち鳴らされたので、その響きは天地を揺るがすように思われた。
 雨太鼓の起源は明確ではないが、戦国時代と呼ばれる15世紀後半から、伊東氏と島津氏は飫肥・三股地方をめぐって激しい攻防を繰り返した。田野勢は伊東方として出陣した。
 この時期、出陣の合図や戦場の合図に用いた陣太鼓が、後に雨太鼓に利用されたのであろう。
 現在、集落に保存されている雨太鼓は「竜雲」「竜雷」「雲建」「百雷」など、雨を呼ぶ名前が付けられている。
 田野町の中央部に天建(てんけん)神社がある。由緒によれば、1335(建武2)年、伊東祐持が日向国に下向したとき、祖神のアメノコヤネノミコトを祭って建立したと伝えられる。
 江戸時代に飫肥藩主となった伊東氏も、祖神の神社として崇敬した。
 同神社夏祭りには、あばれみこしや雨太鼓、棒踊りなど郷土芸能の行列が出てにぎわった。今は別立てのイベントとして行われている。
 演奏にも大小の宮太鼓や丸竹などが加わって規模が大きくなり、音楽的にも変化のある芸能となっている。太鼓作りは地区民が総出でしていたという。
甲 斐 亮 典
メモ
 かつては町内40数地区にあった雨太鼓は現在、11地区で継承されている。そのうち上学ノ木、合又、船ケ山、石久保・七野にある雨太鼓4つが田野町指定文化財とされている。雨太鼓は毎年8月下旬の土曜日に、「太鼓フェスティバル」として行われる。県内では清武、山之口町、宮崎市などにも太鼓芸能がある。問い合わせは田野町教委へ。





雨太鼓の写真
見物人をも躍動させる勇壮な
「雨太鼓」


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