みやざきのうたと芸能101ロゴ 下水流臼太鼓踊

 
●水難・火よけを祈願
 高さ3メートル余りの竿(さお)3本に、和紙の花飾りを付けたのぼりを背負って、胸の太鼓を打ち鳴らしながら踊る。洗練された完成度の高い太鼓芸能として、全国的によく知られてきた。
 1929(昭和4)年、東京で催された全国青少年舞踊大会に本県代表として参加、注目を集めた。この後、日本代表がこの踊りを習得して、ロンドンの世界青年大会に参加。そのため下水流でのぼり16本を新調し、鹿島丸でロンドンに送り、当時のロンドン市民の話題を呼んだ。
 のぼりは竹ざお3本に和紙を折って作った花房(下から大・中・小の順に3個)を下げ、真ん中の竿に赤布輪、両脇の竿に青布輪を下げる。竿の先端には、紅白の布で作ったたんぽが付く。踊り手の動きに従って花房が開いて揺れ動き、華やかに展開する。
 太鼓を付けた踊り手は16人、鉦(かね)4人、歌い手4人で、総員24人が縦陣、円陣など隊形を変化させながら躍動的に踊る。
 衣装は、大袖の白じゅばんに山ばかま、脚半、わらじを着け、前結びの白鉢巻き。
 鉦方はこの衣装のほかに陣がさをかぶり紅白のたすきを掛ける。
 歌い手も踊り手と同じ衣装に陣がさをかぶり、陣羽織を着る。
 のぼりに付ける花輪の和紙は、地元で作られる伝来の穂北紙である。
 踊りの起源は、他地域の臼太鼓と同じように、秀吉の朝鮮半島出兵のとき、肥後の加藤清正が敵を油断させるために踊った戦術に由来するといわれる。
 下水流臼太鼓踊に使う鉦に「1802(享和2)年」の銘があることから、約200年前にはすでに踊られていたと推測される。
 踊りの形は「あそ」「五条」「四節」「坂鉦」「小野」「かせ」と6段からなっており、足運びや陣形が決まっている。またここでは鉦方も踊る。
 歌われる歌詞には、浅野内匠、弁慶、義経、小野小町などがあり、変化に富んでいる。
 西都市には、石野田地区にも臼太鼓踊が伝承されている。踊り手16人、鉦4人、歌い手4人と人数は同じであるが、背中に負うのぼりは、下水流とは異なり、布製ののぼり3本である。踊りの陣形は類似している。
甲 斐 亮 典
メモ
 下水流臼太鼓踊は、旧暦8月1日に五穀豊穣(ほうじょう)と水難・火よけを祈願して南方神社で奉納される。その後、一ツ瀬河原、次いで下水流公民館と場所を変えて公開される。石野田臼太鼓踊は、正月24日に近い日曜日に、石野田地蔵境内で奉納される。明治8年、この地区が大火に遭ったので、火伏せ地蔵を祭ったことに由来する。 問い合わせは西都市観光協会へ。





下水流臼太鼓踊の写真
太鼓踊りの出色
「下水流臼太鼓踊」
(西都市・南方神社)


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