みやざきのうたと芸能101ロゴ 平山棒踊

 
●豊作を祈り打ち合う
 平山の棒踊は、華舞(はなまい)神社(現山田神社)に五穀豊穣(ほうじょう)を祈って奉納されていたが、現在は文化の日前後の「かかし村秋祭り」で披露される。
 由来は、1905(明治38)年、鹿児島から来た綿うち直し業者が、瀬之口納四郎に伝えたものを、後に平山地区民に教えたものと言い伝えている。また、ほかの棒踊りと同様に、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵の際、薩摩軍が戦勝したことを踊りの起源としている。
 踊りは、祭りや講堂、役場庁舎の落成などの祝い事に踊られていたが、昭和34年、正定寺の山門と鐘楼の落慶法要に奉納されたのを最後に途絶えていた。
 昭和51年、地区有志の努力で復活した。
 踊り手は青壮年で構成され、4人1組で通常4、5組。歌い手は4人。踊り手は青紫の浴衣を着る。すそが両ひざ辺りで「ハ」の字形になるよう、両脇を絞り上げる。
 黄色の帯に青のたすき、それに赤布の垂れを付ける。下衣は白の細身のズボン。頭の左側で角立てした白鉢巻き。黒の手甲を着け、白足袋に草履を履く。化粧した顔に青の鼻筋をつける。
 踊りは2列縦隊。出端の唄(うた)「霧島…」で、三尺棒を腰の辺りに持ち、右手は腰につけて入場する。
 踊り唄「お城は…」に合わせて身体を揺らし、「…山」で三尺棒を打ち込んで踊り始める。
 まず、横の相手と上・下・上と切り結び、次に前後の相手と打ち合う。この間位置を入れ替わったり、4人がその中央で三尺棒を一斉に突き上げたりする。
 動作の節目には、「サーサーサッ」とか「エイエイエイ」「ソレハソイソイ」などの掛け声が入る。
 三尺棒同士の踊りが済むと、半数が六尺棒に持ち替え、前後・左右と打ち合う。位置を替わってさらに打ち合うなど、三尺棒同士の踊りと基本的には同じ芸態である。
 入端は、三尺棒は腰、六尺棒は足踏みに合わせて地面を突きながら退場する。
 お城は山で 前は大川
 霧島松は 黄金の花咲く
 焼け野のキジは 岡の背に棲む
 今こそ通る 神にものめり(踊り唄)
前 田 博 仁
メモ
 旧薩摩藩に伝承する棒踊は、稲作と深くかかわり、春から初夏にかけて、地面を棒で突きながら田歌を歌って踊る風流(ふりゅう)芸能である。薩摩半島から霧島山ろくにかけては「御田祭り」と呼ばれ、「おせろは山で、前は大川…」などの歌い出しの田歌を田に聞かせると稲が良く実ると言い伝える。問い合わせは山田町教委へ。





平山棒踊の写真
三尺棒と六尺棒の
勇壮な打ち合わせ
(山田町・かかし館の広場)


目次へ 27 下水流臼太鼓踊のページへ
29 バラ太鼓踊のページへ