みやざきのうたと芸能101ロゴ バラ太鼓踊

 
●”竹ざる”打ち鳴らす
 バラ太鼓は、竹で編んだざる状のものを胸にかけ、太鼓のように打ち鳴らす。
 鳴り物は、本鉦(かね)3個、中鉦3個の6個を使う。踊り手は全員がバラ太鼓を持つ。白の浴衣に黒帯を締め、素足。背に鈴を付けた矢旗を負う。矢旗は踊り手によって数が異なり、太鼓頭は7本、一般の人は5本、新入りは3本である。矢旗の竿(さお)は先端に白い房の飾りを付け、旗は5色で幅広く、踊りにつれて旗竿が大きく揺れ動く。
 踊り手は16歳から28歳までの男子で組織され、祭礼の一週間前から斎戒沫浴(さいかいもくよく)し、諏訪神社の例祭のときだけ踊るという厳しいしきたりが受け継がれている。踊りが奉納される八代北俣の諏訪神社は、戦国期の伊東氏の時代にすでに再興されていたという由緒ある神社である。
 島津氏が日向全域を支配していた1585(天正13)年に、福島佐渡介という武将が現在地に社殿を建て、領主・島津義久の武運長久と、郷中の繁栄を祈念したときに始まったという。
 これは、同神社に天正13年7月27日の銘文のある棟札が保存されていることによる。このことから、例祭は旧暦7月27日にあたる8月下旬に2日間かけて行われる。
 例祭の当日は、三軒宿前と呼ばれる中別府三家からバラ太鼓踊の行列が出発し、道鉦を鳴らしながら諏訪神社の社前に到着、「お諏訪」と「大将軍」の2庭を踊り、次いで「願踊り」が行われる。
 2日目は、直会(なおらい)の後に「納め」の3庭が踊られる。
 伝承によれば、天正年間の遷宮を祝ったとき、郷中の人がとりあえずはしご5つを背負って踊ったのが始まりであるという。時代を追って改良され、七・五・三の矢旗となり、黒塗りのバラ太鼓が用いられるようになった。
 歌詞は「お諏訪様に参りて 見てやれば 四方の泉水あらみごと」「東の表見てやれば 杉に芭蕉に 川菖蒲」など祝意の歌詞が続く。
 鉦と太鼓に合わせて円陣を組んだり、縦列になったりして踊る。南九州に分布する臼太鼓踊と共通する要素が多い。
甲 斐 亮 典
メモ
 北俣の諏訪神社は、971(天禄2)年、信州諏訪郡から、現国富町伊佐布村森田(もりでん)に勸(かん)請したと伝えられている。祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト)で、武神として祭られる神である。島津氏によってあがめられた神で、旧島津領にあたる地域には、各地に諏訪神社がある。問い合わせは国富町教委へ。





バラ太鼓踊の写真
正午を合図に奉納する
「お諏訪」と「大将軍」
(国富町・諏訪神社)


目次へ 28 平山棒踊のページへ
30 兵児踊のページへ