みやざきのうたと芸能101ロゴ 兵児踊

 
●地言葉の狂言交える
 兵児踊は、地言葉の狂言を交えた踊りで、その土地の風俗や人情をユーモラスに表現していると言われ、「のじり湖祭」(期日不定)で披露される。
 旧薩摩藩では15歳から25歳の男子青年を兵児(へこ)、二才(にせ)と呼んでいる。踊りの由来は明確でないが、五穀豊穣(ほうじょう)を願って鎮守に奉納したと伝えている。
 野尻町では、三ヶ野山や東麓に伝承していたが、昭和初期から20年ころにかけて廃れた。
 昭和60年、東麓の青年が中心となり、兵児踊の復活を呼び掛け、「野尻町兵児踊保存会」を結成した。指導者を小林市南西方から招き、復活させた。
 三味線・太鼓・笛・拍子木のはやしと武士と兵児二才の踊り、それに狂言で構成される。
 兵児二才は白じゅばんに紺のはかま、鉢巻きにたすき、手甲・脚半を着け、わらじを履く。腰に木刀を差し、手に傘を持つ。顔にはひげを描く。武士は兵児二才と同じ衣装に紋付きを羽織り、すげがさをかぶり刀を差す。はやし方も兵児二才と同じ衣装で、狂言の衣装は、そのときの内容に応じた服装となる。
 演目は「道楽」「本楽」「デハ」「サオ」「ヒキ」「狂言」で構成。
 道楽は、はやし方18人を先頭に、武士2人、兵児二才16人が2列縦隊で、はやし方の伴奏に合わせ、円を描きながら出てくる。先頭の兵児二才2人はほら貝を持ち、ほかは半開きにした傘で顔を隠しながら進み、2列横隊に並ぶ。
 本楽は、はやし方が演奏を続け、踊り手は待機。デハで傘を置き、踊り始める。
 サオは武士が兵児二才の左側に移動、兵児二才は真横に向き、木刀を横にする。武士が「和尚さんは何処へ行く…」と歌い、兵児二才は「ソレ、オイオイオイ、ヒョー」と掛け声をかけて踊る。ヒキは武士を先頭に1列になり、円を作りながら踊る。
 体を前に曲げ、刀の柄を持ってこじりまで差し出し、または後ろに反り、両手を左右に広げるなどおうぎょうに踊る。
 狂言は、関所の番人武士2人が立ち、そこへ農民夫婦や旅芸人が出てきて、「関所を通らせてください」「いや通さない」の問答の後、踊りを披露して許可をもらうという内容。狂言が終わると道楽で退場する。
前 田 博 仁
メモ
 県内には、野尻町以外に須木村原、えびの市東内竪、栗下、池島、小林市真方に兵児踊が伝承されている。元来、奴踊と稲作の豊作を願う田遊びが混ざり合って成立、江戸末期に三味線の楽が入ったという。鹿児島の出水から大口、えびの、小林、野尻へと伝承してきたと言われる。問い合わせは野尻町教委へ。





兵児踊の写真
ユーモラスな兵児二才の踊り
(野尻町・あすなろ公園)


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