みやざきのうたと芸能101ロゴ 生目神楽

 
●幸せ祈る「物語風」も
 宮崎市内に残っている半夜神楽の一つ。五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を祈念し、3月15日の祭礼に、午後から夜半にかけて奉納される。現在では15日に最も近い土曜日に行われている。
 神社の前庭に舞い所を設け、しめ柱を3本立ててしめ縄を引き渡す。神前に神酒、野菜、穀物、鶏などを供える。
 奉納される神楽は、26番が継承されている。着面の舞いが多く、17番を数える。
 県北山間部に伝承されている神楽に比べて、一般的に楽の調子が速く、舞いぶりも活発。
 26番の中、9番「方社」から14番「太鼓舞」までは、内容的に連なっており、地域の人々の幸せを祈る物語風の展開を見せる。
 「方社」は神々の鎮まりを祈願し、続いて住居の安全、風よけ、国家の安穏、神と人が合一する喜びを表す「太鼓舞」へと展開。また優雅に刀と鈴で舞う剣舞、真剣のなぎなた舞などがある。また稲作神楽であるため、豊作を祈る舞いとして、「杵(きね)舞」「田の神」などがある。
 この神社は八幡社で、主祭神は品陀和気命(ホムダワケノミコト=応神天皇)である。本来、生目八幡宮と称されていたが、明治維新後に生目神社と呼ばれるようになった。
 創建の時期は明確ではないが、平安末期から鎌倉初期の史料「宇佐大鏡」の記述から1056(天喜4)年ごろに既にこの八幡社があったことがうかがわれる。
 源平の争いに敗れた平家の武将・平景清の日向下向伝説と絡んで、目の神様としても厚く信仰されてきた。
 また、県内最古とされる大形の古い神面が奉納されている。一つは1248(宝治2)年、もう一つは1536(天文5)年の銘がある。銘文の中に、当時の地方豪族・土持氏、石塚氏の名があり、神社の歴史の古さを物語る。日向の生目八幡として、日本全国から参拝者が絶えない。
甲 斐 亮 典
メモ
 生目(いくめ)の起源については、景清伝説のほかに古くから目の病に霊験のある八幡といわれていたこと、応神天皇より5代前の垂仁天皇(活目入彦五十狭茅=いくめいりひこいさち)を祭っていることなどが挙げられている。瓜生野八幡社、大塚八幡社、吉村八幡社など、宮崎市域には多くの八幡社があり、山地系、平地系の神楽が地域相互に交流したのであろう。





生目神楽の写真
生目神楽の人気番付の一つ
「神武」
(宮崎市・生目神社)


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