みやざきのうたと芸能101ロゴ 文弥人形

 
●浄瑠璃語り操り芝居
 山之口町麓地区には、全国的にも数少ない一人遣いの人形芝居、文弥節(ぶんやぶし)人形浄瑠璃が伝承されている。伝来については、江戸時代薩摩藩領であった麓地区の郷士が、参勤交代のおともに行ったおり、習い覚えて帰ったという。
 1826(文政9)年に書き写した「出世景清(しゅっせかげきよ)」の台本に、「麓番所の関守を命じられた曾木某という郷士がいた。日ごろからフンニヤ(文弥節)の浄瑠璃を好み、それを語って人々を楽しませた。また厄よけを神社に祈り、願成就には村内で浄瑠璃を語り、操り芝居を行った」と記録されており、江戸後期からの伝承を裏付けている。
 明治以降も郷士の家柄の人々によって継承され、地区の祝い事があるときに上演されてきた。しかし、大正末から第二次大戦のころにかけて一時途絶え、昭和25年に復活させようと坂元業衛(なりえ)、稲田安良、前田潔、坂元鐘一らが中心となり、人形修復などの準備を始め、翌年、会員16人で「山之口麓人形浄瑠璃保存会」を結成した。
 文弥節は延宝年間(1673〜80年)、大坂の岡本文弥が語り始めた。1685(貞享2)年、竹本義太夫、近松門左衛門らによって、義太夫節による新しい人形浄瑠璃、文楽が行われるようになった。
 麓の人形は差し込み式の一人遣いで、その大部分はカシラがノド木に固定されている。このような一人遣いの人形は、三人遣いの文楽や淡路人形浄瑠璃などより一段古い古浄瑠璃に分類され、山之口町麓のほかに、新潟県佐渡、石川県尾口村・鶴来町、鹿児島県東郷町に伝承されている。
 舞台は、高さ1メートル余りの幕を張り、観客席と仕切る。
 明治・大正期や戦後の復活当時は民家の座敷や屋外で、昭和45年からは地区公民館で上演されていた。
 現在は平成4年に建設された「人形の館」に専用舞台が常設され、定期的に上演されている。
 伝承されている演目は、「出世景清」「門出八嶋」の二曲七段に、間狂言として「太郎御前迎(たろごぜむけ)」「東嶽猪狩(ひがしだけのししがり)」の二番と「娘手踊」一曲がある。また、座興にハンヤ節などを人形に踊らせることもある。
前 田 博 仁
メモ
 県内には、高千穂町柚木野地区にも人形浄瑠璃(県指定民俗文化財)が伝承されている。江戸末期、地方で人形浄瑠璃が流行したころ、土地の愛好家が松の木の瘤(こぶ)を利用した人形を作り、氏神祭りや農閑期に上演したといわれ、「絵本太閤記」「阿波の鳴門」「神霊矢口の渡し」などの演目がある。問い合わせは山之口町教委、または「人形の館」へ。





文弥人形の写真
文弥人形の「門出八嶋」二段目
八嶋合戦の段・弁慶断切
(山之口町・人形の館)


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