みやざきのうたと芸能101ロゴ 東中坪樽踊

 
●りりしい姿で優雅に
 祝いの踊りである。
 そろいの白の法被に黒のズボン、白鉢巻きに水色の腰帯、白足袋に草履履きのりりしい姿で、大熨斗(のし)付きの祝い樽(だる)を持って踊る。
 20人ほどの踊り手に、三味線と太鼓が加わる。
 綾町の樽踊は、1928(昭和3)年に、昭和天皇ご即位の祝賀行事で踊られたのがその始まりである。
 三味線と太鼓に合わせ、樽を左肩に担いだ姿で入場する。
 本踊りの「初春」「高砂」の二番は、三味線と唄(うた)に合わせて、ゆったりとした動作で、静かにかつ優雅に踊る。
 祝賀にふさわしい踊りである。
 綾神社の祭礼に奉納される踊りとなっていたが、太平洋戦争中に中断した。1964(昭和39)年に、東中坪地区の女性たちによって復活し、保存会が結成されている。
 もともとの国富町では、「十日町樽踊」と呼ばれていて、1897(明治30)年ごろに、本庄の戸長であった中山篤一が創案したと伝えられている。
 毎年、青年たちによって、八幡神社の秋祭りに豊穣(ほうじょう)を祈念して踊られていた。
 ここも戦争中に中断したが、戦後すぐに復活して、「初春」「日向」「高砂」の三番を継承している。こちらは男性だけで踊られる。歌詞は
 初春や見渡す園の梅ケ香に 誘われ来鳴く鶯の 大きく君は幾千代と 変わらぬ仲じゃないかいな さあさそこらもめでたかろ
 高砂や 眺め見渡す沖景色 朝日にかがやく松の影 宝の船が見えるぞえ あれ鶴が舞う 亀遊ぶ 翁夫婦がいるわいなと歌う。
 天領商人が栄えた本庄は、芸能の面でも大淀川中流地域の一中心をなし、「十日町樽踊」「六日町俵踊」「笠(かさ)踊」など、住民は祭りと芸能を楽しんでいた。
 平成11年4月に、宮崎市の市民文化ホールで行われた「みやぎき民俗芸能まつり」では、「東中坪樽踊」と「十日町樽踊」が披露された。
 同じ踊りではあるが、双方に微妙な違いが見られる。
 このイベントは、1987(昭和62)年に始まり、昨年ですでに13回を数えている。毎回10種目程度の民俗芸能が出演する。
甲 斐 亮 典
メモ
 綾神社の祭礼は、毎年秋、11月19日に近い土・日曜日に行われる。綾町の11の地区が順番に奉納踊りを受け持っているので、東中坪樽踊も11年に1回奉納される。祝賀の芸能として人気が高いので、ほかのイベントでも披露される。問い合わせは綾町教委へ。





東中坪樽踊の写真
綾神社の祭礼に
奉納される東中坪樽踊


目次へ 36 木花相撲踊のページへ
38 巨田神楽のページへ