みやざきのうたと芸能101ロゴ 城攻め踊

 
●美しくうねる花飾り
 「城攻め」という勇壮な名称であるにもかかわらず、いでたちは色彩豊かで、華やかな踊りである。
 細く割って作った2メートルほどの竹に、色とりどりの紙の花びらを付けた「柳」を数十本背負い、胸に付けた大鼓を打ち鳴らしながら踊る。
 踊りの動きには攻めと退きがあって、鉦(かね)と太鼓に合わせて、前後左右に体をしなわせる。背負った「柳」が華やかに、波のように揺れ動く。
 2、30人の踊り手が一斉に動くと花飾りのうねりは一層大きくなり、まことに美しい。
 踊り手は、頭に黒い陣がさ風のかぶりものを着けた、軽快な武者姿である。
 その際、次のように歌われる。
 忍ぶ越路に笹植えて 来るよこの世に恋もせず
 妻、やつしろは鏡とみゆる ウトヤ薩摩の方をながむれば ささの戦に誘われて 三枚兜(かぶと)の蛇腹巻 黒しゃく流れの打ち刀 ヤラヤラめでたヤラめでた
 踊りの起源について地元では、関ヶ原の戦い(1600年)に関連して起こった清武の武将、稲津掃部助(いなづかもんのすけ)の宮崎城攻略の後、田野勢が島津領の穆佐(むかさ)城を攻めた。このとき、踊りの装束に武器を隠し、農民の踊りに見せかけ、敵を油断させて攻めたと伝えられている。
 隣接する高岡町や野尻町にも城攻め踊がある。
 飾りも衣装もよく似ているが、こちらは、起源について異なる伝承を持つ。
 島津家17代の領主・義弘が、当時のはやり病を鎮めるのに、勇壮な踊りが効があるとして、この踊りを始めたという。
 これらの由来は、県内各地の臼太鼓踊の伝承ともよく類似している。
 稲作の年中行事に「虫送り」がある。田植えの後に、神社で害虫よけの祈とうをしてもらい、紙の御札を竹に結んで、田んぼに立てて回る。
 城攻め踊の飾りは、それに由来するのではないかとする見方もある。
 このように芸能の起源には、多くの要素が潜んでいる。
 田野町の城攻め踊は、平成9年4月に、米国サンフランシスコの桜祭りに参加して、好評を博した。
 踊り手たちは、民俗芸能を通じて、国際交流にも貢献している。
甲 斐 亮 典
メモ
 鷺瀬の城攻め踊は、1940(昭和15)年に行われた「紀元2600年」奉祝大会で、地区の青年団が郷土踊りとして出演し、最優秀賞を得た。現在では、7月中旬の天建(てんけん)神社の夏祭りに合わせて開催される「ふるさとまつり」で披露される。問い合わせは田野町教委へ。





城攻め踊の写真
米・サンフランシスコの
桜祭り会場で踊られる
城攻め踊(1997年4月)


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