みやざきのうたと芸能101ロゴ 新馬場棒踊

 
●薩摩示現流を舞踊化
 毎年4月29日、三股町早馬神社の祭りに、ジャンカン馬踊りや町内の各地の棒踊りとともに奉納される。以前は4月25日に踊られていたので25(にじゅうご)踊りと呼ばれた。
 初日は神社で踊りを奉納し、役場や病院、老人ホームなど施設を訪問して、安全祈願や感謝の意を表し披露する。2日目は「庭もどし」といい、地区内全域を回る。商店街や新築や出産など、祝い事のあった家などを訪問して踊りを奉納する。
 棒踊りがいつごろから伝承されてきたかは明確ではない。新馬場地区は、江戸時代中後期、薩摩藩加世田から移住してきた人たちによって開かれた集落であり、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵に従軍した薩摩軍が、戦いで勝ったとき踊ったことを起源としている。
 激しくカシの棒を打ち合う踊りは、薩摩の剣法示現流(じげんりゅう)を舞踊化したものと言い伝えている。
 踊りは「ヤマ」「棒踊」「奴(やっこ)踊」で構成される。ヤマは幣を付けたサカキの木の持ち手、三味線、太鼓、拍子木、歌い手からなる。
 棒踊りは、男子青年が4人1組となり通常3、4組で踊る。奴踊りは、棒踊りの踊り手が棒を扇子に持ち替えて踊る。
 踊り手は白のかすりに黒帯を締め、両角立て白鉢巻きに、右肩から左わきに黒のたすきを掛け、腰に5色の垂れを下げる。手に水色の手甲を着け、白足袋に草履を履く。三味線や太鼓など伴奏は着物に法被。女性は編みがさをかぶる。
 踊りは2列縦隊で入場し、互いに1.5メートルくらいの間隔で整列、「今こそ通る 神にものめり うしろは山で 前は大川…」の歌に合わせて、前後と左右の相手と5尺の棒で打ち合う。
 左足を引き、腰を沈めた打ち合いの構えから、前後の相手、次に左右の相手と打ち合う。また、体を入れ替えたり、4人1組が頭上上段で打ち合ったり、頭めがけて打ち下ろす棒を頭上で受け止めるなど勇壮に踊る。
 歌と踊りのテンポは異なり、歌が静、踊りが動という感じであるが、うまく調和している。
 棒踊りが終わると踊り手全員が奴踊りを踊る。
 唄(うた)は赤穂義士のあだ討ちを素材とした「鎌倉」や、娘2人のあだ討ち「志賀団七」ほかである。
 三味と太鼓の軽快なリズムに合わせ、身体全体を使い、大地を踏みしめまたは跳びはねて躍動的に踊る。
前 田 博 仁
メモ
 三股町内には、新馬場を含め餅原、大野、梶山、上米満など5地区に棒踊りが伝承し、早馬神社や地区の鎮守祭に奉納されている。各保存会とも棒踊りの後に奴踊りを踊る。この芸態は北諸県地方の棒踊りの特徴の一つとなっている。
 県内には、北諸県地方以外にも棒踊りや奴踊りが伝承されているが、踊りはそれぞれ別個に踊られている。問い合わせは三股町教委へ。





新馬場棒踊の写真
薩摩示現流の剣法を
舞踊化した新馬場棒踊
(三股町・早馬神社内)


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